闇に葬られたか「人柱」

徴用工とは何か(2)

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佐々木央

47NEWS編集部、共同通信編集委員

佐々木央

47NEWS編集部、共同通信編集委員

 本州の北辺・下北半島で育ちました。子どもや若者のこと、生きもの(動物園・水族館)について長く取材してきました。なので、軽視されたり無視されたりしがちな存在、人権のないものへの共感も少しはあります。 

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大間鉄道・二枚橋橋梁。多くの犠牲によって成った(青森県むつ市大畑町)=下北文化社・竹浪和夫さん撮影

 青森県下北半島の未成線「大間鉄道」の現場にあった強制労働の「タコ部屋」。地域史研究者の鳴海健太郎(1931~2018年)は次のように書く。

 「大間鉄道の労働者は、日本全国からと朝鮮半島(当時、日本の植民地)から募集され、人身売買と差程変りなく連行、重労働を課したのである」(「ウィークしもきた」2002年8月17日号「下北史点描」第197回)

 前回述べたように、幼い鳴海少年が目撃したのは朝鮮人労働者の惨状だったが、日本人も多かったようだ。(47NEWS編集部、共同通信編集委員佐々木央)

 ■焼却された証拠

 鳴海はおよそ近代のこととは思えない恐ろしい話も紹介する。引用文中「棒頭」(地元の言葉で「ボガシラ」)は、作業現場の監視兼人夫頭である。

 「二枚橋のトンネル・釣屋浜のトンネル・甲下風呂(かぶとしもふろ)のトンネル・桑畑(焼山)のトンネル等、難航工事で多くの犠牲者が出たと言われています」「ボガシラ(棒頭)による暴力と拘禁とで維持したタゴ部屋には“人柱伝説”が生まれました。人柱は土固まるといい、トンネルなどの構築には神の心を柔らげるためと、生き埋めをしたというのです」(1994年8月、地域誌「はまなす」創刊号)

 だが、徹底的な調査を身上とする鳴海も、その伝説の真偽は確定できなかったようだ。

 鳴海は同じ文章で、5年前に地元の二本柳市太郎という当時85歳の男性から木野部(きのっぷ)トンネルにまつわる秘話を聞いたとして、そのメモを紹介する(以下の引用中、「瀬崎組」は大間鉄道・木野部~下風呂間の工区を請け負い、タコ部屋を運営した業者である)。

 「私(二本柳氏)は、瀬崎組で働いていた朝鮮人をチャッカー船に乗せ、ムシロをかぶせて函館まで行き、逃がしてやりました。…食料に飢え、重労働を強いられていたからです」。このような人がいたことを、同じ下北半島の出身者として誇りに思う。

 さらに鳴海による二本柳取材メモから。

 「朝鮮人の無縁仏は、戦時中には大畑町(現むつ市)の大安寺で供養していたそうです。敗戦となってそれらに関する書類の焼却命令があり、あわててそれらを燃やしてしまったので、寺にも役場にも今は証拠となる書類が残っていないもようです」

 人の死の記録そのものを焼却してしまっていた。伝説は伝説のままとなる。その命令は誰から誰に出されたのか。焼却を実行したのは誰か。大切なことは闇に葬られた。

大間から北海道の対岸まで20㌔足らず。対岸の戸井線も未成線だ。両線は共通の軍事目的を持っていた

 ■強制労働条約に違反

 工事を監督する立場だった人たちはどうしていたのか。前回も引用した盛岡工事事務所(当時)の下風呂出張所長、二松慶彦の回想の一部を再掲する。

 「就労以外の外出は禁止していたらしく、労働基準法等はない時代で、労働時間は朝早くから夜暗くなるまで時間いっぱい働かせていた」「終日、人権を無視した労働を強いられ、逃亡、リンチを眼のあたりにして、監督に立つ所員が、たびたび困惑させられたものである」(「鉄道建設物語 盛岡工事局60年の歩み」)

 労働基準法もない時代だから、超長時間労働の強制やリンチを見ても何も言えなかったと読める。鳴海はこのタコ部屋労働について次のように述べている。

 「これは日本がILO強制労働条約に1932年批准登録し、翌年効力を発生しているから完全に条約違反である」(前掲「下北史点描」第197回)

 国際労働機関(ILO)は1919年、ベルサイユ条約に基づいて創設された。ことしは創設100周年。ILO駐日事務所のホームページによると、日本は創設以来の原加盟国であり、長く常任理事国を務める。

 傍論だが、驚くべきことに日本は、ILOの第1号条約に批准していない。労働時間を1日8時間、週48時間に限定する条約だが、日本の労働法制には抜け道があるので批准できないのだ。これが「過労死」「過労自殺」の今につながっているのではないか。

 もっと傍論になるが、ILO条約で日本が批准しているのは49で、全条約の4分の1ほどにすぎない。この国際標準からの脱落(後進性)が、いま「働き方改革」を迫られる日本の労働問題の根幹にあるだろう。

 ■発注者が黙認したタコ労働

 さて、鳴海の挙げる強制労働条約(29号)は1930年に採択され、今も有効な基本条約の一つだ。ILO駐日事務所ホームページが説明する29号の「概要」から冒頭を引用する。

 「すべての強制労働の使用を、できる限り短い期間のうちに廃止することを目的とした条約。この条約で、強制労働というのは、処罰の脅威によって強制され、また、自らが任意に申し出たものでないすべての労働のことである」

 鳴海が指摘するとおり、タコ部屋の強制労働はILO29号条約に照らして、完全にアウトであろう。しかし、国際法を持ち出すまでもなく、人を欺罔(ぎもう)してタコ部屋に送り込み、命を削る労働を強制することは、明らかな犯罪である。

 二松ら下風呂工事事務所の人たちは、工事を発注した側で、業者を指揮・監督する立場にあった。加害行為の前で「たびたび困惑」していないで、自らの尊厳にかけて、労働条件を少しでも改善したり、救出したりすることはできなかったのか。

 だが、そうできない事情があったのかもしれない。当時の権力の実態に切り込む鳴海の言葉を引く。

 「大間鉄道工事の目的は、本土決戦に備え軍需品輸送を最優先することでした。そのために軍部政府と土建資本との癒着もあったと思われます。工事の発注者である国鉄が、タコ労働を黙認したとも考えられます。また、警察関係の取り締まり関係機関は、逃亡したタコを詐欺罪として捕らえ、タコ労働を保護する立場をとっていました」(前掲「はまなす」創刊号、原文は「タゴ」、ここでは表記を統一した)

 大間鉄道のタコ部屋を含め、下北半島には当時、4千人とも、7千人ともいわれる朝鮮人がいた。なぜ、それほど多くの人たちが、本州北端の半島に来ていたのか。植民地支配が終わったとき、彼らは自由の身になれたのか。=続く

徴用工とは何か(1)

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