ルカク&サンチェスはどうなる?プレミアからインテルに来た選手を「格付け」

今夏マンチェスター・ユナイテッドからロメル・ルカクとアレクシス・サンチェスを獲得したインテル。すでに前者はかなりインパクトを残しており、可能性を感じさせている。

1992年以来、インテルがイングランド・プレミアリーグから獲得した選手は14名(とルカク+サンチェス)。『Planet Football』はこの14名を格付けしている。

なお14~11位は以下の通りとなっている。

14位:ワラシ

13位:セドリック・ソアレス

12位:ネルソン・ビバス

11位:ネマニャ・ヴィディッチ

10位:ルーカス・ポドルスキ(アーセナルから)

所属:2015年

成績:17試合1得点

ポドルスキがアーセナルからインテルにローンで移籍したことを、どれだけのファンが憶えているだろうか。おそらく、かなりのインテリスタしか印象に残っていないはずだ。

彼は半年間で1ゴール1アシスト。退場者を2名出した9人のウディネーゼ相手にネットを揺らしただけだった。もちろんシーズン終了後にアーセナルへと送り返している。

9位:ロビー・キーン(コヴェントリーから)

所属:2000年

成績:6試合0得点

コヴェントリー・シティからインテルというのは、誰かの足跡が付いている道ではない。彼はそれを切り拓いたが、その道はすぐに荒れ放題となってしまった。

20歳でやってきたロビー・キーンは残念ながら全くセリエAに馴染むことができず、半年間でリーズへとローン移籍。そのまま買い取られていった。

8位:ステヴァン・ヨヴェティッチ(マンチェスター・シティから)

所属:2015~2017年

成績:31試合6得点

マンチェスター・シティからのローンで加入したヨヴェティッチ。最初の2試合で3得点を決めまたたく間に期待が高まったものの、結局シーズンを通して4試合でしかゴールを決めてくれなかった。

次年度は買い取られたもののスタメンの機会すらも得られなくなり、フランク・デ・ブール監督とステファノ・ピオーリ監督の下でほとんど存在感のないシーズンを過ごした。

7位:ダヴィデ・サントン(ニューカッスルから)

所属:2008~2011年、2015~2018年

成績:90試合0得点

ユース出身のサントン。トップ昇格後にうまく出場機会は掴んだが、後にポジションを失い2011年にニューカッスルへ。4年後に古巣インテルへと戻ってきた。

ただ不安定な経営の影響も受けてサントンの立場は安定せず、復帰から2018年まで50試合に出場したものの、それほど存在感を見せることはなかった。

6位:ダニ・オスバルド(サウサンプトンから)

所属:2014~2015年

成績:12試合5得点

サウサンプトンからローンでインテルへとやってきたオスバルド。出場した12試合で5ゴールとなかなかの得点率を誇った。このままピッチで活躍できていれば、素晴らしいキャリアを過ごせただろう。

しかしマウロ・イカルディとの間でかなり激しい対立があったと伝えられ、その影響で退団となってしまった。彼は後に「とくにイカルディと何かあったわけではないよ。理由は明らかにするつもりはないが」と話している。

5位:ガリー・メデル(カーディフから)

所属:2014~2017年

成績:91試合1得点

カーディフが2014年にプレミアから降格した後、インテルへと移籍してきたメデル。「猛犬」とも呼ばれる激しいプレースタイルで、セリエAでもかなりの存在感を見せた。

彼はインテルで1度しかゴールを決めていないものの、それはローマとのビッグマッチで決めた衝撃的なミドルシュートだった。

4位:フアン・セバスティアン・ベロン(チェルシーから)

所属:2004~2005年

成績:49試合3得点

アルゼンチンの魔術師ベロンはインテルでしばらくしかプレーしていないが、マンチェスター・ユナイテッドとチェルシーで受けた悪評を跳ね飛ばすだけのものは見せた。

ユヴェントスがカルチョ・スキャンダルで降格処分を受けたためにスクデットが転がり込んできた2005-06シーズン、そのチームを支えた選手の1人だったといえる。

3位:サリー・ムンタリ(ポーツマスから)

所属:2008~2012年

成績:66試合7得点

2010年のカターニア戦では2分で連続イエローカードを受けて退場になるという伝説を作ったムンタリ。しかし彼はインテルの中でしっかり役割をこなした選手の1人であるし、ネタキャラとしても存在感があった。

ラファエル・ベニテス監督の下ではあまり目立たなかったし、その後ミランに行ったことでファンから多少嫌われてしまったが、それでもインテルでの影響力を無視してはいけない。

2位:ポール・インス(マンチェスター・ユナイテッドから)

所属:1995~1997年

成績:54試合10得点

90年代の英国サッカーの素晴らしい事実の一つは、ポール・インスがいたということだ。もし彼がもっと長くインテルにいたらどうなっていただろうか。

UEFAカップ準優勝の悔しいメダルだけしか彼は獲得できず、1997年にリヴァプールでのプレーを求めて去っていった。もしインテルがもう少し彼がいる間に結果を残せていれば…。

1位:エルナン・クレスポ(チェルシーから)

所属:2002~2003年、2006~2008年

成績:53試合20ゴール

2002-03シーズンには怪我に苦しんだクレスポ。その後ロマン・アブラモヴィッチ体制になったチェルシーに買われていったが、イングランドでは二人の子供を失うなど不幸が続き、厳しい状況になっていた。

ちょうどインテルはオバフェミ・マーティンスを放出しており、アドリアーノも衰退を始めていたため、クレスポの復帰を求めた。戻ってきた彼は初年度に14ゴールを決めるなど、素晴らしい貢献をしている。後にモウリーニョ監督の下ではやや立場を落としてしまったとはいえだ。

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