聖母たちのララバイ「火曜サスペンス劇場」の音楽に秘められたイメージ戦略を暴く! 1981年 9月29日 日本テレビ系2時間ドラマ「火曜サスペンス劇場」の放送が始まった日

「なぜラストはいつも崖?」「新聞テレビ欄の4番目に書いてある役者が犯人だろ?」などと揶揄されながらも、80年代は2時間ドラマの黄金時代だった。

85年には民放で週8枠、年間400本近くが放送されていたほど。その数ある中で、2時間ドラマの代名詞といえば、皆が日本テレビ『火曜サスペンス劇場』の名をあげるだろう。同じような役者が、同じようなパターンで演じる2時間ドラマの中で、なぜ火サスが確たる地位を築けたのだろうか? そこには、緻密なマーケティングと音楽によるイメージ戦略が秘められていたのである。

火サスが企画された81年、すでに2時間ドラマ枠の元祖であるテレビ朝日『土曜ワイド劇場』が先行していた。77年に始まった土ワイは、天知茂主演『江戸川乱歩の美女シリーズ』のお色気シーンや旅情あふれるトラベルミステリーが人気を集め、最高視聴率は26.0%、まさに王者だった。

土ワイを追撃するため、日テレ火サス班は、緻密なマーケティングで切り込んだ。まずは、「曜日」による番組コンセプトの差別化。土ワイは、週末の夜に一週間の仕事の疲れをいやすため、お父さんたちに向けた娯楽番組だった。それに対し、『火曜サスペンス』の視聴者は、平日の夜に家事を終えて、ひと息ついた主婦層である。彼女たちに受け入れられるために、女性を意識したテーマや演出が選ばれた。ベッドシーンのどぎつさを抑え、女が男に復讐するストーリーなど主婦が感情移入できる等身大のドラマを目指した。

そして、音楽によるイメージ戦略。番組の冒頭に、視聴者を引き込むため、その回のハイライトシーンをフラッシュで見せ、そこに木森敏之による、あの有名な火サスのメロディを流したのだ。これは、第一回の放送からの決まりで、その結果、視聴者はこの「ジャン、ジャン、ジャーン!」をきけば、「アッ、火サスだ」と思うようになった(すでに1作目にして番組フォーマットが完成されていることに驚かされる)。

エンディングにも仕掛けがあった。番組の主題歌を作り、毎回番組の最後にオンエアした。内容も出演者も異なる、本来はバラバラの単発作品を、一つのイメージにくくり、2時間の「枠」を「レギュラー番組」と認識させ、「火曜のよる9時は火サス」という視聴習慣を作り出すことに成功したのである。

しかも、番組側としては、「せっかくオリジナルで作ったのだから、この曲は、火サスでしかきけない」というのを意図していたという。メディアの選択に限りがあり、テレビが絶大なパワーを持っていた80年代ならではの逸話である。

だが、回を追うごとに日テレに「あのエンディングの曲は何?」「レコード化はしないのか?」という問い合わせが増えていった。そこで番組では、試しにその曲をカセットテープに入れて視聴者プレゼントを告知したところ、なんと200本の当選に28万通の応募。

このリアクションに驚いた番組は、放送スタートから8か月も経って、82年5月21日、ようやくシングル盤の発売に踏みきった(ただし、テレビ用とは別アレンジ)。その最初の主題歌こそ、岩崎宏美「聖母たちのララバイ」であった。

「聖母たちのララバイ」は、日本歌謡大賞を受賞し、120万枚を突破、82年の NHK 紅白でもこの曲を岩崎が歌い上げた。もちろん、レコードの大ヒットと同時に火サスの視聴率もうなぎ上り、年間平均視聴率22%を叩き出した。番組開始わずか1年で「火サス・土ワイ」の2強時代が到来したのである。

最後に、火サスの長富忠裕プロデューサーの言葉=「聖母たちのララバイ」に込めた想いを記しておこう。「殺人という重いテーマを扱いながら、逆に生命の尊さ、生きてることの素晴らしさ、人間愛の美しさに転化させる役割もまた、主題歌である」

※2017年9月17日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: @0onos

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