弘法大師空海への信仰なぜ? 遣唐使船最後の寄港地、五島列島 理由「定かでない」が複数の仮説

「お弘法さま御堂」で般若心経を唱える参加者=小値賀町唐見崎地区

 遣唐使船最後の寄港地とされる五島列島では、真言宗の開祖、弘法大師空海にまつわる信仰が各地に残る。毎月20日、住民が「お弘法さま御堂」に集う北松小値賀町東部の唐見崎地区もその一つ。史跡や真言宗の寺院もないのに、なぜ島で最も頻繁に行事が開かれるのか探ってみた。

 ■歓 談
 人口約2400人の小値賀町で、21世帯37人(8月末現在)が暮らす唐見崎地区。8月20日午前10時半、集落入り口付近の木造平屋建ての御堂に、お年寄りが次々と集まってきた。弘法大師像や祭壇がある8畳ほどの内部は、10人ほどでいっぱい。木魚をたたきながら般若心経を唱え始めた。しかし、わずか3分。その後は持ち込んだ菓子や手作りのおにぎりを囲み、楽しげなおしゃべりが始まった。
 住民などによると、御堂は1942年10月に完成。国選定重要文化的景観「小値賀諸島の文化的景観」の要素の一つともなっている。住民たちは1、2年交代で御堂の世話役を務め、花の交換や掃除をし、正月には餅を供える。
 地区で生まれ育った崎山代志子さん(93)は「みんなの幸せを願い地域の人たちと集まる大切な場。毎回参加している」。唐見崎地区出身で、結婚を機に同町笛吹郷へ引っ越したパート職員、坂井敬子さん(73)も「今も年に5、6回は参加。弘法様の御利益で元気でいられる気がする」。手術の前に願掛けしたり、成功すればお礼にも参るなど、身近な祈りの場だ。

 ■背 景
 町教委や住民によると、空海を祭る行事は島の3地区にあるが、唐見崎地区以外では4月と10月だけ。同地区を含む島内には真言宗の信者は少ない。それなのに住民が親しみを持つ理由は、町教委の担当者も「定かでない」と首をかしげる。
 島の外に目を向けてみた。平安時代に空海が入定したとされる旧暦3月21日の前日、弟子たちに姿を見せた「廿日(はつか)大師」にちなみ、毎月20日に行事をする寺院も少なくない。長崎市寺町の延命寺もその一つ。お経を唱えた後、集まった人たちが車座になり巨大な念珠を手繰る。堤祐敬住職は、小値賀の伝承について「弘法大師本人が五島列島訪問の際に立ち寄ったのか、大師を慕う人たちが代わりに教えを広めた可能性もある」と見解を示した。

 ■集 落
 日本の集落(ムラ)の共同体の研究のため8月20日に唐見崎を訪れた静岡大情報学部の金明美(キムミョンミ)准教授(文化人類学)は「お堂」は外部から集落に来た人たちを受け入れる役割があったと説明。「ある時期、真言宗を広める宗教家が唐見崎にも入ってきたのでは」と、同地区に古くから空海信仰が根付き「お弘法さま御堂」の毎月の集いにつながった理由の仮説を示してくれた。
 金准教授は言葉を重ねる。「唐見崎で自主的な信仰の場が続くのは、当番制で御堂を維持したり、定期的に集まって語ったりする、相互扶助の精神が残るからではないか」と語った。

堂内に安置されている弘法大師の像

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