シモキタの歴史的変化

小田急下北沢駅地下1階ホーム。急行に乗り換える客はオレンジ色の表示に従って地下2階へ

 【汐留鉄道倶楽部】シモキタの名で親しまれる東京都世田谷区の下北沢は、新宿にも渋谷にも近く、演劇の街という一面も持っている。地上で立体交差していた小田急小田原線と京王井の頭線のうち、小田急線が地下化されてはや6年半。この9月に小田急が地下化に伴う線路跡地の「まちづくり概要」を発表し、話題になった。

 「下北線路街」と名付けられた計画によると、東北沢駅から世田谷代田駅の間、約2万7500平方メートルが対象。下北沢駅上の商業施設や、ニーズの高い保育園はまあそうかなと思う施設だが、「都心に突如現れる温泉旅館」や「新たな出会いと学びを提供する学生寮」(いずれも発表資料の表現)というバラエティーに、へーと思った。

 乗り換えで利用する人、お店を開いている人、住んでいる人では、それぞれ受け止め方も違うだろう。どんな街が生まれるのか、見守っていきたい。

 さて小田急線が地下に潜ったのは2013年3月。駅は地下1階と2階の2層にホームがある構造で、当初は地下2階だけの暫定開業だった。18年3月には地下1階のホームの使用も開始。上のホームは各駅停車など、下のホームは急行などという区分になった。

 1階の改札フロアからは地下1階、2階とも直行エスカレーターがあるが、地下1階は青、2階はオレンジとそれぞれのカラーで客を誘導している。確かに地下2階へのエスカレーターはかなりの距離なので、乗り間違えては大変だ。改札フロアはそれぞれのホームの発着列車が一覧で表示されていて、どのホームに行けばいいかを瞬時に判断できる。

 帰宅ラッシュの時間帯、地下2階のホームはかなりの人でごった返していたのに対し、地下1階は余裕がある感じだった。地下化されたころは井の頭線との乗り換えにものすごく時間がかかるようになったことが話題になったものだが、そんな時代を知らない人も多くなったかもしれない。

地下化直前、地上ホームだった小田急下北沢駅=2013年3月

 小田急線と井の頭線との乗り換えといえば、今年3月に歴史的な変化があった。両者の間に存在していなかった改札がついに設置されたのだ。正確に言えば、小田急と京王、それぞれの改札が誕生、例えば小田急線から井の頭線に乗り換える客は、小田急の改札をいったん出て、改めて京王の改札に入ることになった。

 小田急と京王、別の会社なのだから当たり前の話なのだが、途中の改札がなかったのには歴史的な背景がある。井の頭線は戦前、帝都電鉄という小田急系の会社の路線で、同じグループだったから改札を設ける必要はなかった。

 戦時体制下で京王も小田急も東急に統合されたのだが、戦後、この「大東急」が解体される際に井の頭線は京王の路線になった(社名も京王帝都電鉄を名乗った)。改札を設けるスペースがなかったこともあるのだろう、長く小田急、京王一体の駅だったのだが、小田急の地下化でついに別々の駅として「独り立ち」したというわけだ。

 1927年に小田急開通で駅ができて九十余年。シモキタの玄関は少しずつ、そして確実に変化を続けている。

 ☆八代 到(やしろ・いたる)1964年東京都生まれ。共同通信社勤務。小田急線複々線化のはるか昔、通学で使っていた上り電車は朝のラッシュ時、下北沢の手前で数珠つなぎになってストップしたものです。

 ※汐留鉄道倶楽部は、鉄道好きの共同通信社の記者、カメラマンが書いたコラム、エッセーです。

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