果たして「被害者」か 

©株式会社長崎新聞社

 演舞の躍動感を伝える写真が、きょうの地方版にある。長崎くんちが近い。踊町の演(だ)し物の仕上がり具合を披露する「人数揃(にいぞろ)い」は「いよいよ祭り」と思わせ、「いよいよ秋本番」とも思わせる▲見とれるような優れた風景を「奇観」というが、祭りも秋の景色も、そう呼ぶにふさわしい。その言葉にはもう一つ、「見慣れない眺め」の意味もある。いま世間が見入る奇観といえば、役員らが金品を受けた問題で関西電力が右往左往するさまだろう▲「説明不足」と難じられて社長らが先ごろ会見し、高額の金品を贈っていた福井県高浜町の元助役(故人)は怪物のように語られた。皆が恐れたという▲受け取りを断ると「無礼者」「家にダンプを突っ込ませる」とすごまれる。おびえて3億円を超える金品を受け、返せずにいたと釈明した。「私たちは被害者の側」とも聞こえる▲一つの五行歌を思い出す。〈オセロの角を/取るように/いつも/被害者のポジションを/先に取る人〉(市井社「五行歌秀歌集2」)。どう言おうが、元助役からもはや反論も何もない▲原発関連でもそれ以外でも、工事にまつわる情報が元助役に流れていたとされる。漏らすべきではない、不正な情報はなかったか。見返りはなかったか。安泰なオセロの角に、ずっといられるとは限るまい。(徹)