写真で振り返る「ラグビー日本代表」15選手の“原石時代”

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サッカー部に在籍していた中学2年時の田村

9月20日のロシア戦を制した、ラグビー日本代表の戦士たち。9月28日のアイルランド戦を控え、ますます応援の熱が高まる。なかでも、華麗なキックで注目を浴びているのは田村優(30、スタンドオフ)。その才能の片鱗は幼いころにも。

「小学3、4年のころ、サッカーボールを上手にリフティングしながら、自分よりも体の大きなゴールデンレトリーバーを散歩させていたそうです。彼のフリーキックで勝てた試合があったほど、キック力とその精度は高かった。

とある試合中、審判がファウルを取ってくれたにもかかわらず、不満を漏らすことがありました。『そのままプレーオンで流してくれれば、自分でシュートを決められたのに』と言うんです。ファウルをもらうためにわざと転ぶようなことは、いっさいしませんでした。おもしろい子でしたね」(岡崎市立甲山中学校サッカー部顧問・成瀬茂雄さん)

坂出の幼少時代

本格的にラグビーを始める以前に、別のスポーツに打ち込んでいた選手は多い。坂手淳史(26、フッカー)もそのひとり。両親の影響で、小学生まではバレーボールに熱中していた。

「お母さんは、中学校に男子バレー部があれば入部させたかったようです。彼がキャプテンのとき、禁止されていた学校帰りの買い食いをしていたことが発覚。翌日、丸刈りにしてきました。根は真面目です」(京都市立神川中学校ラグビー部顧問・花岡武志さん)

「高校時代は、自分で目標を立てたら、それに向けて実行していくことができる子でした。エネルギッシュで、まわりの子も集中してプレーして、ともに成長していく。周囲に緊張感をあたえるのではなく、やる気を引き出していくタイプのリーダーでした」(京都成章高校ラグビー部監督・湯浅泰正さん)

中学3年時、ラグビーの試合に出る流

一方、流大(27、スクラムハーフ)はサッカーとの “二刀流” だった。

「小学校時代、ラグビーと並行してサッカーもやっていました。『今日はサッカーの試合があるので練習を休みます』なんて言われたことも(笑)。運動能力が高いから誘われたんです。

小学6年生のとき、練習前にスピーチするようにしたら、流は『勉強することと本を読むことが嫌い』と話しました(笑)」(「りんどうヤングラガーズ」コーチ・山田秀明さん)

中学サッカー部の紹介写真の中村

中村亮土は中学生のころも、サッカーひと筋だった。

「FWをやっていました。体幹がしっかりしていて、相手とぶつかったとき、『怪我をさせるのでは』と心配したほどです。

当時は、キャプテンというタイプではなかったのですが、帝京大ではキャプテンを務めていました。人間的に成長したのだと感じます」(鹿児島市立武岡中学校サッカー部顧問・宮内和生さん)

中学2年生のころの木津

さらに変わりダネなのが木津悠輔(23、プロップ)。小学3年から中学3年まで、地元・由布市の道場で剣道を習っていた。

「ちょっとシゴくとメソメソしていたので、メンタルの部分を指導していました。中学3年のとき、剣道の県大会に来ていたラグビー部監督に、ガタイがいいからとスカウトされたそうです。

剣道では、長身を生かした『面』が得意でしたね。『相手をなんとかしてやっつけてやる』というタイプではありませんでした。自分で勝負に対する強気のスイッチを入れられるようになったから、日本代表にも選ばれたのでしょう」(剣道道場「竹友会」指導者・種木一孝さん)

2006年、ラグビーの大会に出場する稲垣

体の大きさで仰天エピソードを持つのは、稲垣啓太(29、プロップ)。

「中学時代から、ボールを抱えて走る姿が社会人選手のようでした。体とラグビーボールがフィットしているんです」(「新潟市ジュニアラグビースクール」コーチ・小林和則さん)

「中学3年で、180cm130kgはありました。重すぎる体重のせいで怪我も絶えず、高校2年の秋に、減量させるべく自宅から学校まで、40分かけての自転車通学を指示しました。

ところが3週間後、本人から『もうやめたいです。自転車を5台もパンクさせてしまいました』と言われ、さすがに中止しました(笑)。素直な性格です」(新潟工業高校ラグビー部監督・樋口猛さん)

高校3年生の体育祭での具

稲垣と一緒に、最前列でスクラムを組む具智元(25、プロップ)は、大食漢で有名だった。韓国出身で、中学生のころに家族と一緒に来日した。

「日本に来た理由は、韓国に比べて、日本のほうがラグビー環境が整っていたからです。ラーメン店で替え玉を10回頼み、スープがなくなったことも。

同じくラグビーをやっていたお兄さんと仲よしでした。筋トレの目標を作っていたのですが、彼はそれ以上にやってしまうので、むしろ『休め』と言うぐらい。彼は『365日、いつも筋肉痛です』と言ってました(笑)」(日本文理大学附属高校ラグビー部監督・染矢勝義さん)

小学校高学年のころの茂野

一方、体格に恵まれなくても、努力で日本代表の座を掴んだのが、茂野海人(28、スクラムハーフ)だ。

「中学生までは、背の順で並ぶといちばん前になる子でした。小学生で体の小さい子は、スクラムハーフをやらされることがほとんど。パスが大事ですが、海人はパスもへたくそだったんですよ(笑)。

ずば抜けた運動神経があるわけでもなく、日本代表になるなんて思いもしませんでした。だから生徒には彼の話をして、お手本にさせています」(「岬ラグビースポーツ少年団」コーチ・今坂結信さん)

以下では、これまで紹介した8選手のほかに、7人ぶんの “原石時代” をお届けする。戦士たちが日の丸を背負うまでの道程は十人十色。でも胸に抱く闘志は、みんな同じはず!

●福岡堅樹(27、ウイング)
小学3年生、試合中のひとコマ。

「とにかく足が速かったです。でもトライするとき気を抜いて、足首を捻挫することも(笑)」(「玄海ジュニアラグビークラブ」コーチ・樺島祐介さん)

●リーチ マイケル(30、フランカー)
15歳のとき、ニュージーランドから留学生として札幌山の手高校に入学したリーチ マイケル。写真は入学直前のもの。ひき肉、炒り卵、甘く炒めたピーマンを使った三色弁当が好物だった。

写真・時事通信

●松島幸太朗(26、フルバック)
写真は、花園準決勝で大阪朝鮮高校にトライを決める、桐蔭学園の松島。

「ステップの幅だけで恵まれた才能がわかります。性格はシャイです」(「ワセダクラブ」コーチ・今田圭太さん)

●堀江翔太(33、フッカー)
写真は中学1年生のころ。山崎まさよしの大ファンで、彼が出演した映画のロケ地を訪れるほど、のめり込んだ。ギターや三線を弾くなど、音楽好きの一面もある芸術家肌だ。

●田中史朗(34、スクラムハーフ)
小学校時代まで、ラグビーと並行して、ソフトボールにも熱中していた。父・義明さんは非常に厳格で、喧嘩で負けて帰ってくると、「もう一回行ってこい!」と怒られたという。

●松田力也(25、スタンドオフ)
「身体能力がずば抜けていました。試合に負けたとき、ほかの子があっさりしているなか、彼だけは悔し涙を流していました」(「南京都ラグビースクール」校長・辻井幸三さん)

●アマナキ・レレイ・マフィ(29、ナンバーエイト)
花園大(京都)時代、紙すきの文化交流を体験した際の写真。トンガで、16人兄弟の15番めとして生まれた。来日当初は、飲んで暴れると止められないという理由で禁酒に。

(週刊FLASH 2019年10月8日号)