佐世保市民はワイン好き? 背景に政治家の愛情とテーマパーク 多様さを受け入れる土地柄と好相性

 米海軍佐世保基地があり、外国人バー街がにぎわう佐世保市。夜の飲食店ではアメリカンビールが浸透しているのかと思いきや、ワインをたしなむ人とよく出会う。「基地の街」でワインが愛される理由を聞いて回ると、地元を代表する「政治家」と「観光名所」が深く関係しているようだ。

開園時から実力あるソムリエが在籍しているハウステンボス。ワインセラーでは約2000本を保管している=佐世保市、ハウステンボス

 市中心部の飲食街。ここではワインバーのほか、スナックなどでも経営者らがグラスを傾ける姿を見かける。「佐世保はワイン好きが多いからね」。それぞれが異口同音に語る。
 市民の消費量は多いのだろうか。総務省統計局に聞くと「市町村別で詳しく調べていない」。県や市にもデータはなかった。それでも、市内でワインショップとレストランを営むソムリエの杉本政勝さん(56)は「飲食街の規模に対しワインを扱う店は多い。佐世保は文化として根付いている」と言い切る。
 では、だれが広めたのだろう。歴史をひもとくと、ある人物にたどり着いた。元西肥自動車社長で、1969年から衆院議員を5期務めた故中村弘海氏。国内でワインが一般的になる前から知識を深め、国際的な普及団体「ブルゴーニュワインの騎士団」のシュヴァリエ(騎士)の称号を受けた。日本ソムリエ協会の名誉ソムリエでもある。

ワイン通で知られた中村弘海氏

 中村氏の功績などをまとめた書籍「天童行状」には、元首相の故福田赳夫氏をはじめとする数々の大物政治家らが寄稿。ワインを通じて国内外で幅広い人脈を築いた中村氏の人柄がつづられている。
 「ワインの楽しさを佐世保に教えてくれた。おちゃめで粋な先生だった」。市内でレストランを営んでいた宮副眞理子さん(70)=名切町=は懐かしむ。店で貴重なボトルを開封した際は必ず少量残されており、「それをいただいてスタッフは勉強した」。2008年に死去した後も、ワインへの愛情は地元政財界などに受け継がれた。
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 ワイン文化が育った背景には、テーマパークのハウステンボス(HTB)の存在もあった。1992年に開園したときからホテルで大量のボトルを所蔵。実力あるソムリエが集まり、ここを“学校”として経験を積み、市内で独立していった。HTBホテル部で、日本ソムリエ協会長崎支部副支部長の立石豊さん(40)は「手軽にワインを味わえる環境づくりを大切にしてきた」と話す。
 人口4千人余りだった佐世保村は1889年に旧日本海軍の鎮守府が開庁し、多くの人材が集まって発展した。戦後は米軍基地が置かれ、多様な人々が暮らすようになった。他者と交流しながら人口約25万人の中核市に成長した佐世保市の土地柄は、社交の場で人々をつなぐワインと相性がいいのかもしれない-。そう考えると、この地で口にする一杯はより味わい深くなるような気がした。

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