THE TOKYO - THE TOKYOシリーズ・イベント、激アツ・レポート!

2019年8月12日、冷夏になるとの予想を当たり前のように裏切り、あの夏もまた蒸し暑い日が続いていた。合間、一度落ち着いたかに見えた暑さはぶり返し、暦の上ではもう残暑と呼ぶだろうあの日もまだまだ夏盛りと言ったところだった。あの頃奴らは『THE TOKYOのDAI-TO-KAI』と銘打ち、下北沢シェルターで全3回の企画イベントを敢行していた。6月のこけら落としをTHE FOREVERS、THE TOMBOYSと共に幕開けし、勝負の第二回。KiNGONS、myeahns、そしてDudes。メンバーを含めて、誰しもイベントへ期待は膨らんでいたはずだ。

『DAI-TO-KAI』を心待ちにしていたファンのみでは、残念ながらないだろう。若きロックンローラーカタヤマヒロキの帰還。Dudesが初めて鳴らす音を聞こうと、多くの人が入り口階段に開場前から並んでいた。18:30、SHELTERの重い扉が開く。暑さを逃れる術でもあるだろう、ライブハウスに人が続々と吸い込まれていく。ガンガンに冷房をかけていた場内はにわかに、確実に人の熱で温まっていった。コダマタイチの選曲した場内BGM、あの時流れていたのは何だったであろう、恐らくビートたけしの、何かだ。そんなものは既に耳に入ってなかったのかもしれない、ただ生の音が流れる瞬間を今や遅しと待っていた。19:00開演。いや、少し押したんだろうか。爆音と呼ぶにふさわしい強烈な音圧の中、ロックバンドが産声をあげた。オギャア、オギャア。その声は確かに新たな始まりを予感させ、そして第二回目の『DAI-TO-KAI』が始まった。彼らDudesの初にして堂々たるライブは会場の体温を数℃上げ、企画の、そして彼らの始まりの責務を果たした。

束の間のセットチェンジを挟み、5人の魔法使い、myeahnsがステージに現れた。今回の企画フライヤーでドン・タカシが書いた紹介文の通りだろう、「素敵な音楽が聞きたい」。その願いは軽々と成就された。何ともステキな音楽が満ちていた。サンダル履きの魔法使い、茂木左のビートも快調だ。青々しく伸びやかにゴキゲンな魔法が場内にかかった。視界が揺れる、さっきより身体を動かす客が増えたからだろう、気のせいではないはずだ。

企画の半分がはや過ぎた。場内にダレた雰囲気は微塵もない。良いイベントだ。それもそうだろう。メーンのTHETOKYOは勿論だがKiNGONSが来る。前々回のrooftopで書かれていた「まだ見ぬ猛者が全国にいる」。正直なところ、猛者とはKiNGONSを想定していた。その彼らが『DAI-TO-KAI』にやって来た。

猛者、強者の姿がそこにはあった。ひたすらに強い。勢いだけじゃない、年間数十本以上のライブを重ねてきた経験に裏打ちされたライブバンドの強さが表出していた。もう身体を揺らすだけでは難しいだろう、拳がステージに向かって突き上げられていた。そして最後にはギターボーカルのBeeBeeが突如THETOKYOに挑戦状を叩きつけた。「11月11日今年のキンゴンズの日はTHETOKYOとツーマンだ。返事はこの後聞かせろ。」

さあ、最強の挑戦者、最高の挑戦状、どう出るTHETOKYO。あの夜のSHELTERは完成目前まで来ていた。

まだ本番ではない。ステージ準備、リバーシブルのスカジャンは黒い。早々に切り上げて袖に消えたメンバー。そそくさと最後のタバコを吸い吸い、円陣を組む。この日の掛け声は誰だっただろうか。いつも通りだ、大して締まることは言ってない。楽屋からかすかに気合一発、声が聞こえた。間もなく場内は暗転、「本番ヨーイ!」当時もうお馴染みになりつつあったライブバージョン(?)の蒲田行進曲がかかった。おかしい。いつもならカチンコが鳴った瞬間、彼らが登場するはずだ。何をやらかすつもりだろう、待たせてくれる。だいぶ遅れて姿を見せたメンバー、だがアツシの姿はない。そのままツカサがカウントを始めた。「イカレたBABY」ミディアムテンポで来やがった。まんま、イカレてる。イントロ間もなくアツシが登場、歌い上げ始めた。意外な幕開けで始まったTHETOKYOのステージはそこから一転、先に出番を終えた共演者の熱いステージングで溜め込んだエネルギーを炸裂させた。昭和と歌心を担う彼らの楽曲はバラエティに富み、見てる者を飽きさせない。緩急をつけたセットリストでアンコールを含み1時間弱を駆け抜けた。

これ以上の描写はやめておこう。あの日のライブは、見た者の胸にしかと刻まれたはずだ。それに、かく言う自分も記憶ははるか遠く、燃えた心の感覚しか残っていない。もちろん、KiNGONSの挑戦状をTHETOKYOはしかと受け取り、その年の11月11日、下北沢Queで激突する。余談だがKINGONSのBeeBeeはTHETOKYOのアンコール終了後もステージに立ち、「THETOKYOに大きな拍手を」と何度も叫んでいた。締まったような締まらないような、あれもTHETOKYOらしいと心から言える。

こうして第二回の『DAI-TO-KAI』を盛況の内に終え、残すは同年10月14日の第三回目のみとなった。当時のフライヤーで出演者を振り返ってみよう。

忘れてモーテルズ

「ようやくこの町TOKYOでやれるぜ「忘れてモーテルズ」!! パワフルなドラムにウネるベース、そして軽快なギター! こんなカッケーバンドを見れるのは偏に283様のおかげです! それだけは忘れないでくれよな? (ドン・タカシ)」

FRSKID

「俺が英国の映画監督なら撮る。高円寺を雑に解説した後ベースの女の子が渋谷のファッションビルに出勤して始まる群像劇。FRSKIDはR&Rのカラフルでキラキラしたトコ握りしめて離さない。(コダマアツシ)」

THE TOKYO

「秋と言えば紅葉狩り。で最近思い出したけど、紅葉狩りって言葉あるじゃん? 正直狩られる方の気持ち考えてほしいよね。秋は夕暮れ、俺たちゃてテフテフ、3回目のDAI-TO-KAI、始まるよー! (ハリケーン・ハマー)」

3回目にして揃いも揃った、この極彩色イベント。食欲の秋、欲張り3点セット。食べ過ぎ注意、でもすでに知っている。皆がみんな、食べ過ぎてしまう。見届けた人間にはわかるはずだ、この日もまた、素敵な夜があった。

その後のTHETOKYOの活躍は目覚ましかった。12月15日(日)、下北沢SHELTERでのワンマンライブをソール…ソー…ソルソルソソ…ソ…(バチン)

KYOKO:博士、個体番号9216の記憶分野媒体が崩壊しました。

ZATO:うむ。いい線まで行ったんだがね。謎の勢力シティポッパーにより闇に葬られた伝説のバンドTHE TOKYOの全容を解明しなければ、世界が終焉を迎えるだろう。

KYOKO:でもだいぶ分かってきましたね。それにしてもこの記憶媒体の持ち主は一体何者なんでしょう、THE TOKYOのことをよく知ってるようです。

ZATO:よほど近しい人間だったようだ。個体名は…ク…クニ…大和言葉の解読は難しいな。

KYOKO:クニ…国家…相当な権力者のようですね。

ZATO:解明できたようで謎は深まるばかりだな。

KYOKO:まずは10月14日の『DAI-TO-KAI』と12月15日のワンマンですね! この頃は配信リリースもあったようですし、激動の季節になってそうです。

ZATO:彼らに限ってヘマをすることはあるまい。さあ、次の検体を探すぞ。

KYOKO:THE TOKYOの歴史はまだまだこれからですね!

© 有限会社ルーフトップ