決勝で見たい、田村の姿 ラグビーワールドカップ自腹観戦記

 高校時代、ラグビー部に在籍していた。同期のキャプテンから「ラグビーワールドカップ(W杯)を観戦しないか」とLINEがあった。

 「SPRIDE」でもラグビーの取材をしてきた。中でも貴重だったのが、1年前に行った日本の司令塔・田村優へのインタビューだった。母校・国学院栃木を訪れた田村に1時間以上にわたり話を聞いた。

 吉岡肇同校監督にラグビーのベースを作ってもらったこと、大学、社会人、そしてジャパンの司令塔としての活躍ぶりなどについて率直に語ってくれた。記事はSPRIDEの2018年10月号に掲載した。

 

 あれから1年。田村や母校・佐野高校ラグビー部の取材をしているうち、またラグビーがしたくなり、50歳目前にもかかわらず、ラグビーを再開した。

 40歳以上の選手が集まる不惑ラグビーのチームに入った。「おそらく日本でラグビーのワールドカップが開催されることは、自分が生きているうちはないだろう」と思い、二つ返事で応諾した。

 

 W杯開催直前の9月6日。埼玉県熊谷市のラグビー専用スタジアム「熊谷ラグビー場」で行われたテストマッチ、日本対南アフリカ(南ア)戦を観戦した。

 私はその前週、不惑ラグビーの試合のため、このラグビー場に来ていた。むろんこのメーングラウンドではなく、サブのBグラウンドで、である。一週間後、再び同じ場所に来たわけだが、まったく別の様相だった。

 

 スタジアムと熊谷駅周辺は一般車両の乗り入れは禁止になっていた。

 駅で同期と待ち合わせた。駅は白と赤の縞模様のジャージを着た人たちであふれていた。シャトルバスでスタジアムまで向かった。沿道ではボランティアが手を振って出迎えてくれた。市全体でW杯を盛り上げている雰囲気が伝わってきた。

 キックオフは午後7時15分だったが、混雑を予想して現地に午後5時ごろに到着する計画だった。しかしすでに会場では入場を待つ人が長蛇の列を作っていた。手荷物検査も厳重だった。ペットボトルは持ち込み禁止で、バッグの中身をチェックされた。 

 座席に着き、ビールを飲みながら試合開始を待った。4年前のW杯一次リーグ初戦で、日本は南アに34-32で劇的な逆転勝ちをおさめ、「世紀の番狂わせ」などと賞賛された。

 因縁のカードだ。

 前半開始わずか3分で、WTBの俊足福岡堅樹が突然、ピッチに座り込んだ。接触があったのかとも思ったが、そうではない。大型ビジョンにジェイミー・ジョセフヘッドコーチの様子が映し出され、ただ事ではない雰囲気が伝わってきた。すぐに福岡は負傷交代した。

 前半開始当初から日本は南アの出足鋭いディフェンスに苦しめられた。精度が高い田村のキックやパスはことごとく封じ込められた。田村のハイパントキックが敵に奪われ、そのままトライを許す場面もあった。

 後半もトライチャンスでノックオンしたり、インターセプトから独走トライを許すなどいいところがなかった。唯一、WTBの松島幸太朗が1トライだけ。田村がコンバージョンキックを決めたものの、7-41で大敗した。

 

 やはりワールドカップ直前ということもあり、南アは本気度が違った。日本も相当の準備してきたのだろうが、世界ランク5位、W杯で2回優勝しているチームの実力をまざまざと見せつけられた。

 試合終了後、シャトルバスに乗ろうとしたが、大行列ができていた。仕方なく、熊谷駅まで歩いた。約50分。すでに栃木まで帰ることができる電車はなくなっていたので、大宮で同期と飲み直し、そのままカプセルホテルに泊まった。

 

  それから約2週間後、ついにW杯が始まった。日本がロシアに勝った翌日の21日、横浜市の横浜国際総合競技場(日産スタジアム)で行われた1次リーグ、ニュージーランド(NZ)対南ア戦を観戦した。

 決勝もこのカードになる可能性が高い、屈指の好カードだ。

 この日も混雑を想定した。

 キックオフが午後6時45分だったにもかかわらず、午後3時には新横浜駅に着いていた。駅に着くなり、NZカラーである黒、南アカラーの緑色のジャージを着た外国人観光客でごった返していた。駅から日産スタジアムに向かう途中の飲食店ではすでに外国人たちが飲んで盛り上がっていた。

 私たちが座った席はカテゴリーCでチケット代が20000円。結構な額だが、ピッチの選手は双眼鏡でないと見えないくらいの大きさだった。

 だが、黒や緑のジャージだけでなく、日本のジャージで応援するファンが大勢いて、ビールを飲んで試合開始を待っているだけで高揚感があった。

 7万人収容の横浜国際総合競技場に6万人超の観客が詰め掛けた。二週間ほど前に熊谷で南アの試合を見ていたのでなんとなく、南アに親近感が沸いた。

 しかしこの日の南アはNZ相手に1トライのみ。試合開始直後、ペナルティゴールで先制したが、異様に早いパス回しのNZの攻撃を止めることができなかった。試合結果は13-23でNZが勝った。ペナルティの数が試合を決めた面もあり。南アにはツキがなかったな、という印象の試合だった。

 

 試合終了後、競技場から外に出るのに20分近くかかった。新横浜駅に着くと、在来線が入場規制していた。そのため、新横浜から東京までの新幹線自由席で帰ったが、デッキで立ったまま東京に向かった。

 この日も大宮で同期と飲み直し、日本対南ア戦で使ったカプセルホテルにまた一泊した。

 

 その二日後の23日、1次リーグ、ウエールズ対ジョージア戦を観戦するため、私たちは愛知県豊田市にいた。ウエールズは今年の欧州6カ国対抗(6ネーションズ)を全勝で制しており、前回のW杯ではベスト8に入っている強豪だ。一方、ジョージアはフォワードが強い。特にスクラムには特別なこだわりを持つチームだ。

 前半、ウエールズは4トライを奪って29点リードと貫禄を見せつけた。しかし、後半、ジョージアはフォワードで押しまくって意地を見せ、2トライを奪った。

 結果はウエールズが43-14で快勝したが、ジョージアの最後までフォワードにこだわるプレーが目に焼き付いた。

 

 この試合はカテゴリーB、15000円の席だった。豊田スタジアムは勾配が横浜よりも急になっていて真上から試合を観戦するような位置だったので、選手の動きやポジショニングが良く分かった。観戦する場所で試合の見方は変わる。

 

 今回のW杯は自費で観戦してきた。普段、SPRIDEでは取材ということで記者席からゲームを取材することが多い。しかし、自腹で観戦することで、観客の表情や会場の雰囲気など記者席からは見えない光景が見えたのは収穫だった。酒を飲みながら観戦するというのが一番なのだが。

 

 この5日後、優勝候補アイルランドに日本が逆転勝ちするという大金星に田村が貢献した。

 スタンドオフで先発フル出場し、ペナルティゴールを4本決めた。誰もが厳しい戦いを想定していた。しかし、田村は試合後のインタビューで「勝つと信じて準備してきた。準々決勝も決勝も目指している」と語った。

 1年前の取材で「世界で戦うベースはここ(国学院栃木高)で作ってもらった」と語っていた。そこからさらにグレードアップしたように感じた。

 

 11月2日、日産スタジアムの決勝のピッチに田村が立っていることを願っている。

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