【ラグビーW杯】「南ア国歌に鳥肌」クルツさん 母国優勝と交流促進願う

スプリングボクスのユニホームシャツを着て笑顔を見せるクルツさん=横浜市港北区

 南アフリカ、ナミビアのスポーツ親善大使で、県内に30年以上住むウーリッヒ・クルツさん(60)=横浜市都筑区=がラグビーワールドカップ(W杯)日本大会でさらなる交流促進に期待を寄せる。「人種の違いを超えて、一つになれるのがラグビーの魅力」。南ア代表(愛称・スプリングボクス)の優勝とともに、日本国内でもラグビー熱が広がることを期待する。

 9月21日夜に日産スタジアム(同市港北区)で行われた南アの初戦、ニュージーランド代表(同・オールブラックス)戦をクルツさんもスタジアムで観戦した。結果は南アが13-23で敗れた。「両チームとも試合に掛ける情熱がすごかった。決勝まで勝ち上がり、再戦することを強く願っている」

 試合開始前、母国の国歌を大きな声で歌った。南アの国歌はコサ語、ズールー語、ソト語、アフリカーンス語に英語の5カ国語が少しずつ登場する。「鳥肌が立った。南アは人種の違いを乗り越え、共存する社会を目指している。肌の色は関係ない」。今回のW杯では初めて黒人選手がキャプテンを務めている。

 南アは1991年にアパルトヘイト(人種隔離)政策を撤廃。95年、自国開催のW杯に初出場し、優勝した。9月に急逝した当時のチーム唯一の非白人選手だったチェスター・ウィリアムズさんも5年前からの知り合い。「彼は今回のW杯に合わせての来日を楽しみにしていた。再会も予定していただけに本当に残念」

 日本代表が南アから歴史的金星を挙げた前回W杯では、クルツさんは大使公邸でパブリックビューイング(PV)を企画。「ラグビーはジェントルマンのスポーツ。母国が負けたのは悔しかったが、ノーサイドの精神で笑顔で健闘をたたえ合ったよ」

 クルツさんは高校、大学でラグビーに親しみ、学生時代に来日。卒業とともに鎌倉、そして横浜に移り住んだ。英語教師、大手教育会社の副社長を経て、現在は同市港北区内で語学教育や留学支援、国際ビジネスコンサルティングを手掛ける会社を経営する。

 2012年、東京で開催された7人制ラグビーの国際大会で、来日した南ア代表選手が日本の高校生にラグビーを教える場を設けた。今回のW杯のロシア戦で3トライした日本代表の松島幸太朗選手(桐蔭学園高卒)の南アへのラグビー留学にも一役買った。

 「彼はパワフルな脚力で動きが速く、活躍は素晴らしかった。いい選手に成長した」

 南アの選手の橋渡し役も務め、現在は日本のトップリーグで25人ほどが活躍。「両国の距離はラグビーを通じて、さらに縮まっている。交流や支援も後押ししたい」。W杯開催を機に大勢の南アフリカ人が来日している。

 在籍する新横浜ロータリークラブでも貧困に苦しむ現地の小学生たちへの学資や文房具の資金援助ほか、行政を通じた救急車の贈呈など支援の輪が広がる。

 2年前からは、今回のW杯にも出場している南アの隣国、ナミビアの観光、教育、スポーツ親善大使の肩書も加わった。クルツさんの祖父が住んでいたナミビアで道路建設に多大な寄付をした縁で依頼を受けた。今年8月末に横浜で開かれたアフリカ開発会議(TICAD)でも、来日した南アとナミビアの大統領に日本のビジネスや現状などを紹介した。

 予選の結果次第では決勝トーナメントで日本と南アがぶつかる可能性もある。「前回大会より両チームへの思いが強くなっている。(どちらかが敗者となる)観戦はつらいかもしれない」。クルツさんは複雑な心境をのぞかせつつ、「12年ぶりの母国の優勝を横浜で見届けたい」と願っている。

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