第30回「人生の回収〜毎日は、他人が生きてきた人生でもある」

毎日のことは愛おしいですか? こんにちは、朗読詩人の成宮アイコです。

この連載の第21回目で「伝説にならないで」という記事を書きました。

これは、夏に出た新刊の詩集『伝説にならないで』と同じタイトルで、ある配信をしていた女の子のことを書いた文章でした(過去の記事はすべてweb Rooftopでも読むことができるので、興味のある方は読んでいただけたら嬉しいです)。

今年は夏の初めから今月末まで、『伝説にならないで』を持って刊行イベントで各地をまわっています。その中の一箇所として、飛田新地に行ってきました。

組合の方のご厚意でお借りした会場はとても厳かで、わたしがこれまで何度も歩いた商店街が窓の外に見えました。見慣れたその風景を建物の中から眺めるのは初めてで、透明の自分が歩いていてそれを俯瞰して眺めているような、とても不思議な気持ちになりました。

ライブでの朗読中にある男性と目が合いました。微笑むような、それでいて泣き出す寸前のような表情。朗読の言葉にうなずきながら、ひとつひとつの意味を噛みしめるように優しい表情でこちらを見ていて、言葉が具現化されるような感覚がします。

イベント後、その方が会場を後にする前に、声をかけてくれました。詩集と朗読の感想、偶然大阪に住んでいて街でイベントのポスターを見かけたこと、共通の知り合いがいること。そして、ここに来る前に買ってくださったという差し入れを持たせてくれて、一瞬間をおき、なにか覚悟をしたような顔でこう言いました。

「わたし、○○の親族なんです」

(実際には、具体的に関係性を教えてくれたのですが公開は伏せます)

それは、わたしが「伝説にならないで」と願った女の子の名前でした。

驚き、言葉を発する前に、涙が止まらなくなりました。わたしがこの連載に書いた内容を見て、共通の知り合いが「これは○○ちゃんのことかもしれない」と思い、連絡をしてくださったそうです。

なにも伝えられないまま息ができなくなるくらい泣くわたしに、その方は何度も何度も「ありがとう」を言ってくれました。

世界は悲しいことがたくさんあって、とても広くて狭い。悲しいことがあったからこそ今があるとは、とても思えません。今を否定することとはまた別で、今は今で大切ですが、選択肢として選べるのなら、わたしは今の自分になることを選択しない。この前提の上で、すごく、とても嬉しかったです。

言葉がこんなふうに人生に回収されていくなんて思わなかったからです。

帰り道、飛田新地のど真ん中で立ち寄ったたこ焼き屋さんでハイボールを飲みました。ムンとする夏の湿気で、ジョッキグラスはすぐに水滴だらけになりました。秒で溶けていく氷の向こうに、新地の灯りとたくさんの人々が見えます。すぐ隣にあるボクシングジムには練習中の選手、道をはさんだ向こうには別世界のようにそびえるファミリー向け高層マンション。

1年前に来た時より、1年分の時間が経った世界。友達の子どもは1歳になり、スーパーのネオンはいくつか灯りが切れていて、1年ではなにも変わらない食堂があって、公園は入れないくらい雑草が育っています。

寝て起きればまた自分の人生が始まります。毎日は確かに自分の人生ではあるけれども、自分だけのものではないと思う瞬間が続いてくれたら、さっきの悲しさと嬉しさのことをちゃんと覚えていられる気がします。そうだ、毎日は、他人が生きてきた人生でもあるのです。

わたしの人生も同じように見えるのかなと思うと、今日、声に出した言葉のすべては等しく尊くて、考えた末に朗読した言葉も、屋台の前で「なに飲む?」と交わした言葉も、言おうとして言わなかった言葉も、取り繕って口から出た安っぽい言葉も、氷の向こうですべて同じ温度で溶けていくのが見えました。

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