無視されてきた女性史研究の礎築く ライフワークは「女性と資料」 山口美代子さんを悼む(上)

By 江刺昭子

山口美代子さん。1981年、国会図書館で

 平塚らいてう、市川房枝らが女性の政治参加の権利を求めて新婦人協会を設立したのは、ちょうど100年前の1919年11月。協会は政府への請願運動を繰り返し、3年後には政治参加を禁じた治安警察法第5条の一部改正を果たして解散した。

 市川はその後も婦人参政権運動(婦選運動)を続け、女性参政権が実現した戦後も、女性の地位向上に努めた。参議院議員に5回当選している。

 ■メモ1枚も活動の記録

 エネルギッシュな市川の運動の特質の一つは、資料を大切にしたことだ。メモ1枚も活動の記録ととらえ、戦時中も資料を東京郊外に疎開させて空襲からまもった。都合の悪い資料を隠し、あるいは廃棄して平然としている今の政府関係者とは、記録に対する姿勢が違い、敬虔とさえいえる。

 市川が87年の生涯を終えたのち、拠点にした東京の婦選会館と自宅には膨大な資料が残された。その宝の山に分け入って、整理し、検証し、保存し、誰でも見られるようにデータベース化した人がいる。9月25日に90歳で他界した山口美代子さん。この1年余、山口さんの協働者である女性たちと、山口さんに聞き取りをした。テーマは自分史と仕事について。もっと聞いておきたいことがあったが、もうかなわない。メモを頼りに墓碑銘を書かせていただく。

 山口さんは1929年生まれ。横浜の小学校を卒業したのち、裁判官の父の赴任地、朝鮮の京城に2年、元山に3年、元山公立高等女学校を卒業した。元山女子師範学校に進学した年に敗戦、ソ連軍に追われ命からがら引き揚げている。家族が離ればなれになる体験から、ひとりでも生きぬけるよう手に職をつける大切さを思ったという。

 ■記念碑的な仕事

 戦後も父の転勤で函館、旭川と移り、両市の図書館に職を得たのが図書館との出会いだった。すばらしい図書館人たちと仕事をして、その魅力を深く知り、54年に東京に戻ってから東洋大学の図書館学科に通って司書資格を取得した。

 まもなく結婚したが1年余で夫と死別。58年に国立国会図書館に就職し、91年に退職した。この間に2人の先達、丸岡秀子と市川房枝の知遇を得たことが、人生の方向を決めていく。

市川房枝(右)と丸岡秀子

 71年、ドメス出版の鹿島光代が発案・企画して『日本婦人問題資料集成』の編集が始まった。女性問題資料を総合的に集めた出版物が皆無の時代に、人権・政治・労働・教育・家族制度・保健福祉・生活・思潮の8つのテーマ別に原資料を集め、この9巻(思潮は上下)に「近代日本婦人問題年表」を加えた全10巻で、市川や専門研究者らが編集・解説にあたった。81年に全巻完結した。

 アカデミーではほとんど無視されてきた女性史研究、女性問題解決のための基礎工事ができたと、歴史家やジャーナリズムから高い評価を受け、毎日出版文化賞を受賞した。

 このとき「生活」と「思潮」を担当した丸岡秀子から、山口さんに手伝ってほしいと声がかかる。丸岡は農村女性や教育問題など多岐にわたって評論活動をした人で、山口さんの義姉にあたる。任されたのは第10巻の年表の編集。明治から1975年まであらゆる分野を網羅した総合年表を編むことだった。

 山口さんは学究的な国会図書館女性職員6人との共同作業を続け、5年をかけて仕上げた。専門職として書庫に自由に出入りできる立場を利用しての資料の渉猟であり検出であったが、余暇を利用しての作業は困難をきわめた。その結束力の強さからメンバーは「山口組」と呼ばれた。まさに記念碑的な仕事で、以後、女性史を研究する者には手放せない座右の書となった。

 ■市川房枝の志を自らの志に

 山口さんはこの仕事の流れで、女性論の原典資料を網羅し、解説した『資料 明治啓蒙期の婦人問題論争の周辺』(89年)も出版している。 

 市川房枝とは「政治談話録音」の担当になったことで信頼された。国会図書館は61年から87年まで、日本の政治史上で重要な役割を果たした政治家の声を記録して音源を残すプロジェクトを進めた。山口さんは入念な下調べをして質問内容を検討し、78年に2回、延べ7時間、市川の聞き取りをした。10人の政治家のオーラルヒストリーが公開されているが、女性は市川だけである。

政治談話録音。ソファに座る右から2人目が山口さん。左が市川房枝

 国会図書館員としての最後の大仕事は、議会制度100年にあたる90年に開かれた「日本の議会100年」の展示である。山口さんはこの中の特別展「女性と政治―平等への歩み」を担当した。国会図書館では初めての女性の政治参加をテーマとする特別展だった。

 展示されたのは、津田塾大の創立者・津田梅子が北海道開拓使の事業として米国に留学した折の皇后の「御沙汰書」、女性運動家たちの日記や書簡、女子教育関係の資料など。当時、わたしにとっても初めて目にする原資料ばかりだった。半日、展示のガラスケースに張り付いて文字を追ったのを思い出す。

 この頃1人でこつこつと仕上げたのが、『市川房枝の国会全発言集―参議院会議録より採録』(92年刊)。参議院議員5期、25年間における計232回の国会発言を集め、「政治信条を貫いた声の記録」と解説している。

 こうして市川の活動の跡をたどりながら山口さんは、「市川の志を自分の志とする」と心に決めたようだ。「資料と女性」をキーワードに、後半生を生き抜く。(女性史研究者・江刺昭子)

【追記】議会制100年の90年に開かれた展示について、筆者に資料の混同があり、展示会名や展示内容を10月15日に訂正しました。(編集部)

山口美代子さんを悼む(下)

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