PANTA(頭脳警察)×末井昭(編集者)×曽根賢(ex.『BURST』編集長)×森下くるみ(文筆家)【後編】

揉めたらすぐに謝る、お詫びは大きく載せる

──『BURST』の前身である『CRUSH CITY RIDERS』が1994年に生まれて、翌年の1995年にはロフトプラスワンがオープンするんですけど、その後のサブカルチャーの一翼を担うメディアや空間が同時期に生まれたのは偶然とは思えませんね。

曽根:確かに。当時は青山正明さんが編集長を務めた『危ない1号』が悪趣味ブームを巻き起こしたけど、それは彼らが始めたわけじゃなく、僕らもその中心で一緒にいたと言うか。

PANTA:何かの犯罪が起きると、テレビカメラの背景に『BURST』が置いてあるような時代だね(笑)。最後のほうなんて、大麻の種は違法じゃないってことで付録にしてなかった?

曽根:それはさすがに無理ですよ。やろうとはしたけど(笑)。

PANTA:大麻を表紙にした号もあったでしょ?

曽根:あれは『BURST HIGH』ですね。そこに『暴走対談』は引き継がれたんです。あまり長く続かなかった危ない雑誌なので、3回くらいしかできなかったけど。

──最盛期の『BURST』の発行部数はどれくらいだったんですか。

曽根:刷り部数は最高で4万5、6000部まで行ったんですよ。もちろん実売じゃないけど、これは5万部行っちゃうかな? ってところで止まりましたね。それでも今考えれば、あんなテイストの雑誌で4万部を超えたのはすごいなと我ながら思います。

PANTA:末井さんは『BURST』の記事に関して謝罪したり、どこかに呼ばれたりしたことはあるんですか?

末井:いや、なかったんですよ。コアマガジンにはコアマガジンの社長がいるので、呼ばれるとすれば中澤(愼一)さんという人ですね。その上にいる森下(信太郎)さんは警察とかヤクザとかの揉め事が嫌いなので、白夜書房で何か問題が起これば僕が出向きましたけど。

曽根:『BURST』は、末井さんと中澤さんというトップの2人に甘やかされたのは確かですね。

末井:社名は違っても経営者は同じなので、会議も一緒にやるんですね。会議のメンバーも同じだし。ピスケンが会議に出てきた時、顔面が腫れ上がっていたことがあったんですよ。どうしたんですか?と訊いたら、「ちょっと揉め事がありまして…」って言ってましたけど。

──やはり揉め事は日常茶飯事でした?

曽根:揉め事なんて別に大したことじゃないですよ。ただし、警察は絶対に呼べない。僕がボコボコにされている時にもし警察が来ても、こっちは「身内のケンカです」としか言えない。僕はヤクザの親分に暴行を受けたこともありますけど、ああいうケンカのプロよりもパンクスの方々のほうが大変でした(笑)。

末井:その場は殴られて解決するんですよ。絶対に自分からは暴力を振るわない。

曽根:あと、金は出さない。それとすぐに謝る。

PANTA:末井さんも同じことを楽屋で仰ってましたね。

末井:はい。ヤクザに呼ばれる時は、だいたい金の要求なんですけど、向こうからいくら出せとは言えないんですね。恐喝になりますから。だからこっちから言わそうと脅しをかけるんですけど、絶対に払わないのが僕の信念でした。根負けして「金で済むなら…」となりそうになるんですけど、ダメダメ、払ったら負けだと思い直して。まず考えるのは、殺されはしないだろうと。相手が僕を殺しても何の得にもならないから。「ウチの若いもんが何するか分かんねぇぞ!」とか言われたり、家族に危害を加えるようなことも言われるんですけど、そういうのもただの脅しだと思って、取材の一環だと思って聞いていれば何とかなるんです。

PANTA:右翼関係を相手にすることも多かった?

末井:ありましたね。80年代に編集していた『写真時代』という雑誌で、荒木(経惟)さんが撮った女性の裸とラブホテルのテレビに写っている天皇の写真を並べたところ、それを某右翼が見たんですね。ある日、会社へ行くと、なぜか大きな日の丸が会社の前に翻っているわけですよ。あれ? 何だろう? 今日は休日じゃないのに、みたいな(笑)。そしたら、向こうから社長が小走りにやって来て、「ちょっと食事に行ってくるから」と(笑)。で、会社に行くと、デカい街宣車が止まっていて、総務の人が「末井さん、呼ばれてますけど」と言うから、その街宣車に入ると、軍服を着て日本刀を持った男が、一番後ろの席に座っているんですよ。「末井ですけど」と言ったら「お前が末井かぁー! お前は日本人かぁーー!!」と怒鳴られて、「はい。一応、日本人なんですけど…」とか答えて。それから『写真時代』を見せられて「何だこれは!?」と怒られましてね。すぐに謝って、次号にお詫びの言葉を載せますと。それで納得して帰ってもらいました。

──どんな感じのお詫びページだったんですか。

末井:新聞でも雑誌でも、お詫びの欄って本来は読者に見せたくないからすごく小さいんですよ。それが逆に、本当に謝っているように見えるんです。だから謝るならわざと大きく謝れば、相手だって喜ぶし、読者も面白がると思って、表紙をめくった巻頭に「先日、×××という団体に呼ばれまして、『お前は日本人か!?』と言われて『私は一応日本人です』と答えましたと経緯を書いて、以後、このようなことは一切やりませんのでどうぞお許しください」みたいな大げさな文章を、日の丸をバックに載せたんです。まるで右翼の広告みたいな感じで。

曽根:それ以降、白夜とコアマガジンでは、お詫び文はとにかく巻頭にデカく載せることになったんです。あれは末井さんの発明ですよ(笑)。

末井:お詫びも記事として読んでくれたら面白いなと思って。そのお詫びを掲載した号を抗議に来た右翼の人に持っていったんですけど、張り倒されるかと思ったらすごく喜んでくれて。いい右翼だったんですね。

ここでも出てくる内田裕也のエピソード

曽根:この話のついでにおべっかを使うわけじゃないけど、PANTAだってそうじゃないですか。「銃をとれ」とか「世界革命戦争宣言」とかさ、真っ向唐竹割りって言うか、大風呂敷を広げるところがあるでしょう。何にも隠してないって言うか、もうちょっとソフィスティケートしてもいいんじゃないか? っていう(笑)。

PANTA:そうだよね。俺もそう思う(笑)。

曽根:だけどそうはしないのがPANTAのいいところであって、僕らはそういうところを継承しなくちゃいけないと思っているんです。

──森下さんはPANTAさんの大ファンということで、今日はこちらにお越しくださっているんですよね。

森下:なんで私がここにいるんだろう? と、とても奇妙な感覚です。私が初めて聴いたアルバムは『頭脳警察3』で、「ふざけるんじゃねえよ」ももちろん好きなんですが、アルバムの最後に入っている「光輝く少女よ」の歌詞が本当に好きで、生き方の指針にしようと、19、20歳の頃に毎日聴いていました。もちろんリアルタイムではないんですけど、当時、タワーレコードで頭脳警察やアナーキーみたいな往年の日本のロックをフィーチャーしたコーナーがあって、私の世代にもかなり響いたんです。

PANTA:20歳の頃はけっこう尖っていたんですか?

森下:いやー、尖るどころか丸腰でしたね。聴いていた音楽は尖っていたかもしれませんけど。

──森下さんはGAUZEもお好きなんですよね。

森下:『消毒GIG』にも行ったし、恵比寿のリキッドルーム、新大久保のアースダムにも行って、いつも感動して涙目になってました。

PANTA:話の合う人はいました?

森下:話が合うのは40代後半とか50代の方ばかりでしたね。カラオケで頭脳警察の歌を唄う強者もいます(笑)。

PANTA:カラオケですか(笑)。末井さんはどんな音楽がお好きだったんですか?

末井:最初はGSですね。テンプターズとかオックスとか。「♪お前のすべ〜て〜」(と唄う)。

PANTA:それはカーナビーツね(笑)。

末井:そうでした(笑)。もっと遡ると、小学生の頃は歌謡曲ですよ。三橋美智也とか春日八郎とか。当時はそういうものしかなかったので。頭脳警察の名前は聞いてましたけど、PANTAさんを最初に観たのはPANTA & HALの時ですね。これを言うとみんなにバカにされるんですけど、僕はロックよりもフォークが好きだったんです。(内田)裕也さんがフォークを毛嫌いしていたので、なかなか言えなくて。

PANTA:裕也さんとは交流があったんですか?

末井:『俺は最低な奴さ』という近田春夫さんがプロデュースした裕也さんの本を僕が作らせてもらったんです。あの本を作るのも大変で、裕也さんはホテルのスイートルームじゃないとインタビューに応じてくれないんですけど、1回の取材が1時間半くらいしか持たないんです。それでもスイートルームの1泊の料金を払わなくちゃいけなくて。一度に5、6万はかかるんですけど、経費で落ちないんですよ。自腹で十何回か取材をして、しかも同じ話を何度もするんで(笑)。なかなか前に進まなくて、インタビューをしてくれた近田さんも参ってましたね。ある時、これはお金がキツいなと思って、ちょっとショボいホテルのレストランを取材場所として借り切ったんです。そこへ裕也さんに来てもらったんですけど、入ってくるなり顔色が変わって「何だこれは?」と。「俺はフォークじゃねぇんだ!」と叫んで、持っていた杖を振り上げたので、これは殴られるかなと思ったんですけど、大丈夫でした(笑)。それからいつものホテルに電話してスイートルームを押さえて、タクシーで移動して仕切り直しですよ。裕也さんは熱しやすくて冷めやすい人なんですよね。カーッとはなるけど、「なぁ、スイートルームでやらせてくれよ」みたいな感じですぐ穏やかになる。

PANTA:よく知ってますよ。面倒くさいでしょ?(笑)

末井:面倒くさいけど跡には残らないって言うか。僕もすぐに謝って、場所を移して予定通りインタビューさせてもらったんですが、こんなことがまだ続くのか…と思うと気が滅入りましたね(笑)。とは言え、とてもいい経験をさせてもらったと思っていますけど。

*本稿は2019年6月29日(土)にNAKED LOFTで開催された『PANTA暴走対談LOFT編50周年記念対談最終回!「暴走対談の暴走対談」』を採録したものです。

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