【今井恭司のサッカー千蹴写真館】秋田豊 ‐ 鹿島アントラーズ創成期を支えたディフェンダー

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1995年10月28日サウジアラビア戦にフル出場した秋田豊選手

この写真は1995年10月28日、愛媛総合運動公園陸上競技場で行われた95デサントアディダスマッチ、日本代表対サウジアラビア代表戦でプレーする秋田豊選手です。

ハードを絵にかいたようなディフェンダー

秋田豊さんとはそれほど親しい間柄というわけではないのですが、秋田さんのハードなプレーは大好きだし、鹿島アントラーズをJリーグのトップクラブにまで押し上げた陰の功労者みたいなところもあるのではないでしょうか。現在だとそうでもないかもしれないですが、当時は割合体格に恵まれていて、ハードを絵にかいたようなディフェンダーでしたね。この人のキャップ数も結構多かったんじゃないかなと思ったのですが、国際Aマッチ出場44試合はそれほど多くなかった。なんか100試合以上あるような印象がありますけどね。

1995年の加茂周監督時代の、この写真のサウジアラビア戦が代表2試合目で、岡田武史監督時代にはご存知のように日本代表としてFIFAワールドカップフランス大会に初出場。フィリップ・トルシエ体制では途中日本代表メンバーから外されたものの、2002年ワールドカップには本大会前のチーム不振もあってか、ベテランの中山雅史選手と共に最後の最後でサプライズ選出されて、自身二度目となるワールドカップメンバーに選出されましたが、ジーコ監督時代の2003年6月アルゼンチン戦(1-4で敗戦)が最後の試合になりました。だから2002年大会前の強化マッチに召集されていれば、もっとキャップ数も伸びたはずです。

1995年10月28日サウジアラビア戦の秋田豊選手

Jリーグ通算出場405試合

鹿島アントラーズに11シーズン、名古屋グランパスで3シーズン、京都サンガで1シーズン在籍して、Jリーグ通算出場は405試合。鹿島入団当初は右サイドバックでの出場が多かったですが、センターバックになってからはアントラーズの数々のタイトル獲得に貢献しました。でも印象としては、結構攻撃の時のインパクトが強い。セットプレーでガツーンとヘディングで点をとるイメージが強いですね。

京都サンガで加藤久さんが監督だった頃にコーチになって、加藤さんが解任された後で監督も務めた。その後東京ヴェルディでトップのコーチを務めて、FC町田ゼルビアの監督を2013年シーズンの途中まで務めましたが、指導者としてはなんというか……運に恵まれないというか、本当にいい波に乗ったときにそのポジションにつけば、黙っていても勝利が転がり込んでくるようなこともあるんだけど、チームの状態が良くなくて傾いてしまった時に監督を引き受けてしまうと、なにをどうあがいてもなかなか立て直せない時ってありますよね……本当に困ったね。

1997年6月25日FIFAワールドカップフランス大会予選ネパール戦の秋田豊選手

京都、町田の監督を経て現在はサッカー解説者

鹿島アントラーズ時代は、リーグ年間チャンピオン4回、天皇杯優勝2回、リーグカップ優勝3回、ベストイレブン4回、1998年にはチャンピオンシップMVP受賞と、すごいですよね。FIFAワールドカップフランス大会と2002年日韓大会にも連続して選出されて、いまはテレビのサッカー解説で活躍されていますけど、試合が終わってミックスゾーンで取材をしていると、本当に一生懸命熱心に仕事をされているのがわかります。秋田さんの顔はもうみんな知っていますから、ミックスゾーンで選手やなんかでもみんなに気さくに声をかけて話を聞いていますし、毎回最後の最後の選手がロッカーから出てくるまでENGエリアに残ってインタビュー取材しているのは、秋田さんくらいですね。

1997年10月11日FIFAワールドカップフランス大会予選ウズベキスタン戦の秋田豊選手

選手たちもみんな秋田さんの方にはススススッて寄っていきますからね。握手して、挨拶して、その日のプレーを話し合ってと。それはやっぱり昔取った杵柄じゃないけど、数々の実績のなせる業でもあるし、いまの選手たちは当然自分より年下なわけですけど、全然上から目線とかじゃなくて、普通に気さくに話をして、話を聞いてというのが自然にできる。そういう数少ないOBでもあり、人格者でもあるのかなと思います。大事なことですけど、あれだけハードワークが売りのディフェンダーでしたが、決して人に嫌われたりしなかった。あんなにガチガチに行くタイプに見えるけど、そんなにひどいファールはしなかったし、フォワードの選手で秋田さんのことを悪くいう人はいないですね。意外と見た目よりはシャイで、見た目によらず繊細な部分があるんじゃないかな。

シーズン前のキャンプに取材にいった時も、元代表選手だからって「オレがオレが」って感じはいつもしないんだよね。いつもわりと控えめで、いいところでスッと前に出ていく、みたいな感じだから。フォワードの選手とディフェンダーの選手で取材のスタイルも違うのかもしれませんが、マイク持って先頭切って「よし、いくぞ!」って感じで行くような解説者もいる中で、秋田さんの場合はクルーと一緒に歩いて、スタッフと立ててちょっと一歩下がっていく感じがします。

1999年6月3日キリンカップサッカー'99ベルギー戦の秋田豊選手

またJリーグの現場に戻って、例えば古巣の鹿島アントラーズや名古屋グランパスや京都サンガに戻って指導してもおかしくはないし、まあめぐり合わせとかタイミングの問題とかもあると思うけど、日本代表としてセンターバックでコンビを組んでいた井原正巳さんがいろんなところでキャリアを積んでいるのをみると、もっともっと秋田さんのような指導者を起用するクラブがあっていいんじゃないかなって思ってみています。やっぱりめぐり合わせや縁は大事だし、「オレがオレが」って感じでもなく、周囲のスタッフと協調して、一からコツコツと創り上げていく、そんな熱意をもった指導者になるに違いないと思います。

提供:スタジオ・アウパ

ゴールデン横丁の仲間たち | 今井 恭司(いまい きょうじ)

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