県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(4)=アマゾン初の日本人農園

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カスタニャール日伯文化協会

 農産物展示会を見学後、ふるさと巡り一行はカスタニャール日伯文化協会を訪れた。「いらっしゃいませ」とにこやかに出迎えてくれたのは、同文協の婦人部。「1週間かけて買い物して、昨日から準備したんですよ」というお手製の昼食をご馳走になり、地元の人たちと交流した。
 奥の席につくと、目の前に座っていたのは展示会でも会った神立守さんと、井上作義さん(90、高知県)、平田照行さん(92、熊本県)の3人。「暑いでしょう。いつもこんな天気なんですよ」と神立さんがこちらを気遣い、飲み物を勧めてくれた。
 神立さんは同文協の会長を務めたことがあったそうで、「『会長なら地元の歴史を知っていなければ』と言われて勉強した」という。それで知ったのが「カスタニャールには、トメアスーよりも早く入植した人がいる」という意外な事実だった。その話に驚いて、詳しく尋ねると、同地の歴史を書いた資料や写真を見せてくれた。

仲野英夫とマリア夫人の結婚式の写真

 1926年にアマゾン開拓のために来伯した調査団の福原八郎団長が、ニューヨーク在住の日系人の有志達に頼まれ、南米企業組合の農場としてカスタニャールでイタリア人が所有していた2770町歩のロンバルジーア農場を購入した。そこに鐘紡の留学生だった仲野英夫が移り住み、最初のカスタニャール入植者となった。
 仲野英夫はブラジリアン柔術の父として知られる「コンデ・コマ」こと前田光世の仲介を受け、28年に同地でポルトガル系ブラジル人のマリア・アニジア・ポンチと結婚している。これがアマゾン地方でブラジル人女性と結婚した初めての邦人男性だった。
 神立さんは資料を見せながら、「29年にはこの農場で南米企業組合が2千町歩の米作を始めたが、価格が合わなかったそうだ」と説明する。同年11月には、南米拓殖会社が同農場内にカスタニャール南拓農事試験所を設置。「それが今日のカスタニャールとなったわけだ」。
 神立さんがくれたカスタニャールの歴史をまとめた資料によれば、徐々に入植者は増えていったが、41年に太平洋戦争が始まり、カスタニャール南拓の財産は全て州政府に没収された。さらに42年からは転住する人が多く、43年には片岡治義一家と佐藤信市一家のみが同地に残った。
 しかし終戦後の50年代から徐々に同地へ入植する人が増え、さらにマシミーノ・ポルピーノ・フィーリョ郡長の時代に、トメアスー日系農家の次男や三男の分農場を同地に拡張するように勧誘。そこから多くの農家が同地に転住するようになった。
 同文協の山本ジルベルト会長によれば、今は同地に住む日系人は120家族。昔と比べ随分と増えた印象だが、「デカセギに行って帰ってこない人がいる。最盛期はもっと多かった」という。
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昼食会で手作り料理を用意する婦人部

 山本会長と山田団長の挨拶後、菊地義治さんの乾杯の音頭で昼食会が始まった。婦人部お手製の料理は、おにぎりや卵焼き、漬物などの懐かしい日本料理から、タンバキの焼き魚、ジャンブーの佃煮、クレーメ・デ・クプアスーなどのアマゾンならではのメニューも。
 参加者の中にはジャンブーが初めての人もおり、ビリビリと山椒のように舌が痺れる食感に驚いた様子だった。好みが分かれる味だが、中には「美味しい!」と何度も取りに行く人も。脂がたっぷりのタンバキも好評で、あっという間に完食した。(つづく、有馬亜季子記者)

山田康夫団長、乾杯の音頭を取った菊地義治さん、山本ジルベルト会長