なぜ??サッカー史上に残る、背番号「10」に違和感があった5名

©株式会社コリー

本日は10月10日。日本では1964年に東京五輪が開幕した日であり、それを記念して「体育の日」が制定された。

サッカー界で「10」といえば、メッシ、ネイマールらが背負うエースナンバーである。一方、長い歴史の中には「なぜ、彼が10番なんだ??」という選手も存在した。

今回は10/10の日にちなんで、そんな「不思議な10番たち」をご紹介しよう。

ダニエウ・アウヴェス

バルセロナ、PSGなどで活躍し、「史上最もタイトルを獲得した選手」となったアウヴェス。今夏のコパ・アメリカでは主将としてセレソンを頂点へと導き、母国で英雄としての地位を確固たるものにした。

そんな彼の本職はもちろん右サイドバックであるが、先日、「自分はサイドバックとしての新しいプレー方法を作り出した。最終ラインのクリエイティブなMFとして俺はプレーしているのさ」と“俺流”のサイドバック論を披露したことが話題に。

だからであろうか。コパ・アメリカ後には加入したサンパウロでは背番号10を付けており、トップ下などでのプレーも披露している。

ラサナ・ディアラ

今年2月に現役を引退し、ビジネスマンに転身した“ラス”ことラサナ・ディアラ。彼は2008-09シーズン途中にレアル・マドリーに加入し、翌シーズンから背番号10番を付けた。

小柄ながら高いボール奪取能力を持つ彼は“新しいマケレレ”と呼ばれたセントラルMF。確かにマケレレよりはテクニカルな選手ではあったが、歴史ある「レアルの10番」としては正直、違和感を拭えなかった。

結局2011-12シーズンになってメスト・エジルに10番を譲り、ラスは24番に変更している。

クリスティアーノ・ルパテッリ

中田英寿がローマでスクデットを獲得した当時、控えGKを務めていたのがルパテッリだ。

彼が脚光を浴びたのはその後のキエーヴォ時代だろう。ルイージ・デル・ネーリ監督のもと正GKに抜擢されたスキンヘッドの守護神は、ビッグセーブを連発して“ミラクル・キエーヴォ”の立役者となった。

その時の背番号がなんと10!イタリアでは変わった背番号を付ける習慣があるが、さすがに「10番を付けるGK」というのは非常に珍しく、当時も話題となった。

中山 雅史

三浦カズと並び、日本サッカー史上に残るストライカーとして今なお敬愛されているゴン中山。

ジュビロ磐田の黄金期を支えた彼の背中にはいつも9番があり、日本代表が初出場した1998年ワールドカップでも9番を付けて参戦した。

しかし、母国開催の2002年大会では“精神的支柱”としての滑り込み選出だったため、中村俊輔の落選によって空いた10番を付けることに。中田英寿などから「似合わない」とからかわれている。

ウィリアム・ギャラス

チェルシー、アーセナルなどプレミアリーグのビッグクラブで活躍した元フランス代表のギャラス。

彼はその類まれな運動能力を武器にセンターバックや両サイドバックで活躍したが、アーセナルに加入した際、なぜか10番を選んだことで周囲を驚かせた。

ギャラスは後年、「娘が11月10日に生まれていたし、もし若い選手に10番が与えられていたら、大きなプレッシャーがかかってしまうからね」とその理由を語っている。