カポエイラにキャンプ? 既存の学校とは一線を画する「嫌いにならないための体育」とは

竹内先生のYES International Schoolは、主要教科以外にも百人一首やウクレレといった、一風変わった授業が行われます。中でも「体育」は、学校教育とは一線を画しています。

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プログラミングや英語にも大いに力を入れている

YES International Schoolも開校して4年目。プログラミングや英語にも大いに力を入れていますが、国語、習字(書家の先生に教えてもらう!)、百人一首、ウクレレ(ウクレレ奏者に教えてもらう!)、バレエ(バレエダンサーに教えてもらう!)、カポエイラ(カポエイラの師範に教えてもらう!)といった教育も特色です。

そんな我が校ですが、今回は「体育」について考えてみます。

既存の学校体育とは一線を画する教育方針

ウチで体育を教えてくれている先生は二人。一人は私のカポエイラの師匠で、ブラジルの
という団体のコントラ・メストレ(日本語なら師範代)の資格をもつN先生。カポエイラがまったくできない状態で単身ブラジルに渡り、ACCC本部の門を叩き、修行を重ねて帰国した方です。もともとストリートダンスをしていたという異色の経歴の持ち主ですが、「ワル」がよしとされる文化に馴染めず、人生を模索していたときにカポエイラに出会ったのだとか。

ブラジルカポエイラ協会コハダン・ジ・コンタス日本支部|ACCC-JP

もう一人はお台場のアウトドア学童クラブを主催するY先生で、もともと学校の体育の教諭を目指していたものの、いわゆる「学校体育」に疑問を感じ、民間で「本物のアウトドア」「リスク教育」を掲げて活動している方です。私の娘もY先生のアウトドア学童のイベントにたくさん参加しています。

二人に共通するのは、既存の学校体育とは一線を画する教育方針。では学校体育の問題とはなんでしょうか。

学校体育はなにが問題なの?

みなさんも学校で跳び箱をやらされたり、鉄棒の逆上がりをさせられたり、50メートル走のタイムを計られたりした経験があるでしょう。そこには絶対的な達成基準があり、到達度によって5段階(などの)成績がつくのでした。

でもよくよく考えてみれば、子どもによって体育の課題をこなす能力が違うのはあたりまえ。「どれだけ頑張ったか」ではなく「どれだけ基準に届いたか」で成績をつけてしまったら、体格に恵まれた子どもだけが楽しく、その他大勢にとっては地獄の体育になってしまいます

かくいう私も、中学校までの体育は地獄そのものでした。お世辞にも運動に長けているとは言えず努力も効率が悪かったようで、体育の時間は楽しいどころか、毎回胃が痛くなる思いでした。おまけに私が通っていたような公立の小中学校って、勉強ができても「ガリ勉」と陰口を叩かれるのに、体育ができるとクラス全員から「あいつスゲエ」と尊敬される文化なんですよね。まあ、私は中学二年生までは勉強も落ちこぼれで大変だったのですが(笑)。

ともかく、学校体育の問題は、個人の成長ではなく、どこかの誰かが大昔に決めたであろう「絶対基準」をモノサシとして子どもたちの運動技能に成績をつけてしまう点にあります。全員が同じことをやらされて、できないと点数が低いのです。

これは体育に限った話ではなく、音楽も図画工作も、他の学科も同じなのですが、学校が勝手に線引きをして「数字」で評価してしまうために、低い評価をされた子どもはその科目が「嫌い」になる確率が高いのです。

カポエイラと体育

さて、N先生の体育の授業ですが、毎週木曜日にマット運動が中心になっています。つまり、カポエイラそのものではないのですが、カポエイラのアクロバットにつながる「体操教室」なのだなと私は見ています。

入念な準備運動の後、子どもたちは一列に並んで、一人ずつ、マットの上でいろいろな技を練習します。学年もバラバラ、取り組んでいる技もバラバラ。まあ、基本としてアウー(←逆さまのAとUを上下にくっつけると逆立ちの格好になることから「側転」を意味する)や倒立前転のような技は全員でやります。それ以外は、各人がいま取り組んでいる技を練習するのです。もちろん、先生もつきっきりでアドバイスをしますが、基本は本人の情熱と頑張りと工夫が大切です。

ここで、「情熱?」という疑問を抱かれた読者に説明しておきます。ウチの学校では体育が嫌いな生徒はほとんどいません。みんな体育の授業が楽しみで楽しみで待ち遠しいと言います。なぜなら、先月や先週の「自分」と比べてどれだけ技が進歩したのかをマット上で試してみたくてしょうがないからです。

N先生の授業は体育だけでなく「道徳」も兼ねています。自分のことだけでなく、お友達が頑張っている姿を応援する心って大事ですよね。お友達がマットで頑張っているときに、よそ見をしておしゃべりに興じていたら、すかさず先生の注意が入ります。それもただ叱るのではなく、キチンと理由を説明してくれます。たとえば、お友達のお手本を見ないと自分が上手になれないこと。何ヶ月も頑張ってきたお友達がはじめて技に成功したときに見逃したらもったいないこと。あるいは、マットに近づきすぎてよそ見していたら、お友達の足が跳んできて怪我するかもしれないこと。

N先生は体育の授業の他にカポエイラ部も担当してくれています。毎週木曜日夕方のカポエイラ部は、私も(出張で不在のとき以外は)参加しています。そこでは体育の授業より一歩踏み込んで、カポエイラの楽器を奏で、みんなで歌を歌い、蹴りやアクロバットを練習し、最後にジョゴ(=遊び)をします。

ジョゴでは、みんなで円陣を組んで、その中で二名が「対戦」するのですが、通常の格闘技のように相手を倒したり、技を決めたら勝ち、というわけではありません。カポエイラは格闘技でありますが、同時に舞踊でもあるのです。いかに格好良くアクロバットを決め、蹴りを寸止めで決められるか。微妙な間合いでの駆け引きで遊ぶのです。

私はカポエイラ歴4年目で、ちょうどスクールと同じ年限になりますが、いま複数のアクロバット技に挑戦しています。そのうちの一つにマカコ(ポルトガル語で「お猿さん」)という技があります。 があるのですが、このように、お猿さんが後ろに跳ぶようなアクロバットです。簡単なように見えますが、私はいまだ試行錯誤中です。座った状態からアウー(側転)をするのは、比較的簡単なのですが、真後ろに跳ぶのはとても怖いんです。

4年かけて、私は最近ようやく真後ろに跳べるようになりましたが、背中が硬いため、仰け反るように格好よく跳ぶところまでいっていません。N先生からは「みんな違うやり方でいい」と言ってもらっていて、筋力まかせでひょこっと跳ぶ私のマカコは「マカコ・ア・ラ・カオル」であり、それはそれでよしとすべきなのでしょうが、心の中では、先生みたいに格好よく仰け反って跳びたいんですね(笑)。

このマカコですが、子どもたちも大好きなアクロバットで、現在、私には数名のライバルがおります。子どもたちの進歩は早く、先週はできなかったのに、今週は急にできてしまうこともしばしば。ウカウカしていると、4年の貯金なんてすぐに底を突いてしまいます。

というわけで、還暦間近の私は、子どもたちに隠れて、毎日自宅でマカコの猛練習に励んでいるわけなのです(柔軟運動やポンチ=ブリッジの練習をしています)。

子どもたちと張り合いながら、私は、彼ら彼女らの「無限の可能性」を見せつけられます。自分で頑張って進歩する楽しさを教えてくれるN先生の授業は、強い身体だけでなく、強い心を育んでくれます。子どもたちが、将来、どのような仕事に就くとしても、大きな助けとなることでしょう。

アウトドアのリスク教育と体育

を主催するY先生についても、WEBを参考にしていただくとわかりやすいのですが、実は、入会を待っている生徒さんがたくさんいる超人気の学童クラブだったりします。

アウトドア専門学童クラブとは|子どもたちに生きる力を、アウトドアクラブハウスからリスク教育を | リスク教育で生きる力を育む放課後学校、アウトドアクラブハウス

その学童クラブでは毎週、基礎体力をつけたり、ロープやテントのことを学んだりして、アウトドアのための訓練をしています。そして、月に1〜2回開催されるイベントで、日頃の練習の成果を出すのです。

既存の学校教育の問題点のひとつとして、リスクから子どもを隔離してしまったことがあげられます。大勢の子どもが学校で化学実験をやったり、体育で跳び回ったりするのですから、どうしても事故や怪我はつきものです。むかしは、それも社会に出てから大事故や大怪我をしないための「練習」と位置づけられていましたが、いつのころからか、保護者がクレームをつけて先生を吊し上げたり、マスコミが大々的に報道したりして、学校現場ではリスク回避の動きが目立つようになりました。

その結果、小さな事故や怪我の度に、その原因となった活動が禁止されるようになり、いまの子どもたちは、人工的な安全圏に押し込められています。

この問題は根深く、一律に「先生が悪い」とも「保護者が悪い」とも「文科省が悪い」とも言いづらいのですが、とにかく、体育でも危ないことは極力避けるような風潮がまかり通っています。

でも、郊外のキャンプ場に行くだけで、そこにはリスクがたくさんあります。あるいは、社会に出ても、リスク管理は自分でやるしかないのです。学校をひたすらリスクなしの環境にしてしまうと、温室育ちの子どもばかりが育つことになります。それで本当によいのでしょうか?

たとえば、山に入ったら、スズメバチもいれば、イノシシやクマがいる可能性もあります。雨が降ってくれば急に体温が下がってしまうことだってあります。あるいは、川遊びをして流されたときはどうすればいいのでしょうか? 自然にリスクはつきもので、実際に命の危険を伴うことも多いのです。

本来、学校の体育や遠足では、命を守るためのリスク教育が必要です。それが、ここ数十年間、既存の学校から消え続けているのではないかと私は危惧しています。

ウチの生徒も数名、Y先生のアウトドア学童クラブに参加しています。火曜日の夕方、(まさにカポエイラ部と同じような位置づけで)アウトドア学童の「訓練」をします。

私もたまにアウトドア学童のイベントに参加するのですが、次回は「しまなみ海道」のサイクリングで、いまから自分のロードバイクを整備しています。三泊四日で、実質的に2日半かけてしまなみ海道を走破するのですが、距離にして150kmほどなので、子どもたちにとっては、未体験ゾーンとなります。サイクリングというと、ゆっくり気ままな自転車旅というイメージがあるかもしれませんが、11月初旬ともなれば、昼間は23度くらいまで気温が上がって汗をかくものの、夜は3度くらいまで冷え込みます。しかも宿泊はホテルでも民宿でもなくキャンプ場なのです!

しまなみ海道

子どもたちは寝袋持参で、気温変化に応じて着るものを替えたり、最終日には激坂に挑んだりします。アウトドア学童クラブでは、サイクリングもリスク教育という位置づけなのですね。私も、雨が降ったり、風が強かったり、パンクしたりしたときに自力で身を守れるよう、持参すべきものを選び、自転車の輪行のリハをやり、準備に余念がありません。はたして、最終日の激坂に私の貧脚は耐えられるでしょうか。

学校体育はいつのまにか形骸化してしまいました。でも民間では、絶対基準や他人との競争「以外」の価値観で、運動が苦手な子も身体を動かすことが楽しみになるような活動が行われていますし、いざというときにどう身体を守ればいいかを教えてくれる場所もあります

第四次産業革命に伴い、今後、AIが受け持つ仕事がどんどん増えるわけですが、私たち人間は、これまで以上に「身体性」を大切に、リスクを評価し、臨機応変に生き伸びていかなくてはいけません。その意味でも、既存の形骸化した学校体育は見直しの時期に差し掛かっているように思うのです。

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