間違いだらけのギョーカイ用語、それってA&R? ディレクター? プロデユーサー? 1982年 10月3日 ビリー・ジョエルのアルバム「ナイロン・カーテン」がリリースされた日

極めて業界内の用語のお話です。A&R という用語、日本では “洋楽ディレクター” を表していましたが、現在、ちょっと捻じれて国内制作に戻っていきました。

私は長い音楽業界人生のうち、31年間はレコード会社に勤めていました。うち洋楽の仕事には二つの会社あわせて26年関わっていました。国内外で大勢の海外アーティストやマネージメント関係者だけでなく、米英のレコード会社スタッフ(CBS だけでなく、Warner Brothers、Atlantic、etc)と仕事をしてきました。初めて会う人には、名前を覚えてもらうためにも、英語の名刺を渡します。海外出張でも、コンファレンスとかコンベンションともなると名刺も100枚くらい持っていきました。

英語の名刺そもそもが、外人対応を前提にしたものです。となると、自分がどういう仕事をしているのか、何に対して責任をもっているのか、などを先方のスタンダードで記載しておかないと正しく理解されません。

ところが、当時の日本の会社はグローバルなセンスに乏しく、とかく日本の島国文化基準での英訳になっているケースがありました。あらゆるジャンルに紛れ込んでいる和製英語なども、やっかいなものでした。

洋楽の仕事は、そもそもが職種もカナばかり。問題となったのが、いわゆるディレクターと呼ばれる制作マンのクレジットです。ですが、これを英語で “Director” と名刺に印刷すると、立派な取締役になってしまいます。

私の先輩のディレクター時代、あるアーティストの取材がロンドンで行われました。出発前の打ち合わせで、Director が取材にアテンドするという情報も渡っており、先方からすると「担当役員自らが現場の仕事をするためにロンドンへ飛んでくる」、という理解できない状況になっているわけです。

到着すると、外見はそうでもないのに、名刺には、そうクレジットされているわけですから、松レベルのホスピタリティで対応するしかありません。担当Dとして取材にアテンドしただけの彼も、さすがに居心地の悪さを感じたとのこと。映画クレジットでの Director は監督ですし、ディレクションするわけですから、どの業種でも結構権限がある役割ではあります。

これは、職務を英語表記したら、たまたま大袈裟な意味になってしまった、という笑い話で、さほどの罪もありませんが、こちらの問題は結構微妙なものあります。それは、レコード会社の洋楽ディレクター(アーティスト担当)をあらわす呼称、A&R です。

正確な記憶ではありませんが、60年代後半あたりから、レコード会社では、洋楽の制作担当のことを A&R マンと名乗っていたはずです。私も学生時代にこの職に憬れ、1973年 CBSソニーに入社。1981年に洋楽ディレクターの発令をもらい名刺に印刷された A&R というクレジットに、にやついたものです。

そもそもの A&R の意味は、音楽業界に興味ある方はご存知のように Artist & Repertoire を略したもので、アーティストとレパートリー、つまりシンガー(アーティスト)に、どういう楽曲を唄わせるべきかを決めて、レコーディングする制作ディレクターのことをさします。

シンガー、ソング&ライターなどの自作自演アーティストが登場する以前、アーティストといえばシンガーであり、このシンガーを売り出すために、曲はどういうのがふさわしいのか、詩は誰に書いてもらうのか、などを決める責任者、それが A&R なのです。

レコード会社においては、A&R が出してくるプロダクツやアーティストが会社の生命線につながる最重要な職種です。日本に置き換えると、国内制作ディレクターであり、いわゆる音源制作の担当者の事を指しています。

私の現場制作マン時代の80年代初頭、ビリー・ジョエル絡みの NY 出張で CBSレコードを訪ねたことがあります。初めて会った向こうのスタッフに自己紹介です。「私が日本でビリーの A&R をやっているきくのです」と言って名刺も渡します。すると「ビリーの A&R って NY にいるんじゃないの?」と返します。言われてみればその通り。そうです。ビリーの A&R は地球上で、CBS の中に一人いるだけです。あらためてジャパン・ローカルな自分を認識した次第でした。

その後アメリカ CBS を訪問する機会も増え、現地で大勢のレコード会社スタッフと名刺交換します。こういう経験の中で、特に洋楽部門では名刺の英語表記について、先方のスタンダードにあわせて、より正確に記するようになりました。

洋楽制作マンの表記は、A&R をやめ、先方に分かるように “プロダクト・マネージャー” とか “プロダクト・マーケティング” などを使っていましたが、最終的にはシンプルに “マーケティング” となっています。

もちろんパッケージの制作もありますが、大事なことは、アーティストをどうマーケティングして売っていくか、これが仕事でした。とは言え、海外対応では、職種の呼称に気を遣っていたものの、社内用語としては、変わらず洋楽の制作マンは A&R と呼ばれていました。

そしてこの、用語としての A&R が、その後国内制作部門に、ちょっと捻じれたカタチで入っていったのです。

いわゆるジャパン・ローカルでの洋楽 A&R マンの仕事は、スタジオに入ってレコーディングするわけではなく、完成した音源が届いたところから始まります。重要なことは、これを誰に、どうやって売っていくかを考え、実行することです。つまりはマーケティング担当なのです。

では、国内制作部門はどうでしょうか。90年代になって、日本の J-POP シーンに大きな動きがありました。小室哲哉に代表されるプロデューサー達がヒットメイカーとしてメガヒットを連発し、90年代は “プロデューサーの時代” と呼ばれていました。

私がいたソニーミュージックでは、この頃になると、国内制作のプロセスも大きく変化し、外部のサウンドプロデューサー達の積極的な登用を行っていました。社員の制作担当者(いわゆる本当の意味での A&R です)も、レコーディング作業に関しては自分がスタジオに入ることなく外部プロデューサーに任せて、その時間を “いかにヒットをつくっていくか” の時間にあてるよう指令が出ていました。

社内の人事異動で国内制作業務に就いた未熟な制作マンより、実際の音創りに関しては百戦錬磨のサウンドプロデューサーの方が、アーティストに対する説得力もあれば、結果としていい音を作るというわけです。

こうして、制作担当者の仕事はマーケティングに専念するシフトに変わりました。つまり、音楽をつくることはない洋楽の制作マンに似た仕事の進め方になったのです。皮肉な事に、このシフトへの変更は “A&R 制の導入” と呼ばれていました。親の心子知らず状態ではありますが、“スタジオワークをやらない” 制作マンの呼称として国内制作の中で使われ始めたのです。

なんとも説明しがたい微妙な状況になってしまいましたが、外人対応の必要がない国内制作にかかわる用語ですし、極めてジャパン・ローカルですので、何ら問題の起きようはありません。

業界のリーディングカンパニーであったソニーミュージックの動向は音楽業界関係者の気になるところ。業界全体に音創りのプロとして、サウンドプロデューサー達が跋扈していた事もあり、この考えはソニーミュージックを飛び出して、幾つかのレコード会社にも波及していました。

ただ、この A&R という用語、現在でも業界のあちこちで使われていますが、各社各人どういう意味合いで使っているのか確認しておかないと、誤解を生じることもあります。

スタジオワークをやらない制作マンとして A&R の呼称を使っている場合が多いはずですが、本来の国内制作マンとしての正しい意味で使っている会社があるかも知れません。また、宣伝予算を持っている A&R もいれば、プランニングだけ考える A&R、従来からあったアーティスト担当の仕事となんら変わらない A&R もいます。

このように、そもそもが国内制作マンの事を表している用語ですから、日本の洋楽マンが名乗るより、多少微妙なニュアンスはありますが、遥かに正しいところに戻った、と思うべきでしょうね。

カタリベ: 喜久野俊和

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