【コラム】土の匂いを知らない農村議員たち

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台風19号は日本列島に甚大な被害をもたらし、多くの犠牲者・被災者を出した。今なお不便・不安な生活を強いられている人々も多く、政府に一刻も早い救援・復旧・復興を求めていくことで、各党はおおむね一致している。

大規模災害が発生すると、地方自治体の要望をできるだけ早く政府に伝えようと、地元選出の国会議員はがぜん張り切りだす。現場が大混乱を来しているにもかかわらず、中にはここぞとばかりに“視察”のパフォーマンスを繰り広げる者もいる。政府の支援措置は、自治体が喉から手が出るほど欲しく、議員はそこで“パイプ役”を買って出て実績を上げたいのである。

国会議員として、地元の要望を国政に伝えることは厳粛な使命である。しかし、問題はそこに“心”があるかどうかである。「選挙区からの要望」と機械的に復旧・復興に動くのと、「愛着があるから」と心情的に動くのとでは大きく異なる。かつてのブルースリーの名ぜりふに例えるならば、「考える」か「感じる」かの違いかもしれない。

現在、自民党の国会議員は全国から選出されているが、とりわけ地方といわれる農村部選出の議員が多い。だが、その中の少なからぬ議員は、その農村部で生まれたわけでもなく、また育ったわけでもない。議員や候補者になってからはともかくも、おそらくは市井の人として、祭りのみこしを担いだこともなければ、ボランティアをしたことすらない。

そのような議員の多くは、大都市で生まれ、そのまま小学校から大学まで都会で過ごし、親の後を継いで議員になった世襲議員であるといってよい。たまたま選挙区が農村部であるから、そこに形ばかりの居を構えるが、「そのような連中はイモリとヤモリの区別もつかない」(元参院議員)のかもしれない。それでいて票のために農村代表を標榜している。

もちろん、利点もある。農村や田園で過ごした経験はなくても、最近の自民党議員の中には米国の大学院を卒業している者が増えている。世界の中の日本を考える上で、そうした教育がプラスに働いていることは否定できない。

しかし、国会議員としてではなく、一人の人間として、その土地の人々と同じ空気を吸い、共に笑ったり泣いたりしてこそ、本当の意味で地方に寄り添えるはずである。逆に、潮や土、森林の匂いを知らない議員が増えてきたことが、地方創生が進まない一つの理由ともいえる。「俺なんか爪を立てて山を登ったが、今の若い連中は山道に生える草花を見ることもなく、七合目あたりまでケーブルカーに乗ってくる」(元衆院議員)との表現は分かりやすい。

官僚の世界でも同様の現象が起きている。かつては農村部で苦学し、官僚になる者が多かったが、現在では厳しい“お受験戦争”に勝った“都会っ子たち”が大きな比重を占める。頭脳明晰(めいせき)なのは結構なことかもしれないが、地方への施策を頭ではなく、心で考えている者がどれほどいるかは疑問である。

永田町でも霞が関でも、スマートな人材が増えている。泥臭さなどが一切なくても、地方のことを分かっているという。しかし、白河夜船になっている者も少なくないのではないか。どれだけ話術が巧みでも、どれだけパフォーマンスの才があっても、地に足のつかない政策は、国を誤った方向に導いてしまうのではないか。

【筆者略歴】

本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治アナリスト。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。