公民館だより 〈令和の時代に万葉集を学ぶ〉

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■令和の時代に万葉集を学ぶ
高甫地域公民館

8月24日(土)、高甫地域公民館で開催された講演会に約30人が集まりました。新元号「令和」の基となった万葉集の歌について俳文学会会員の田子修一さんからお話を聴きました。

◇令和の時代に
田子さんは「『万葉集』は奈良時代に完成した日本最古の歌集です。新元号の『令和』はこの『万葉集』を典拠としており、国書(日本で著述された書籍)を典拠とする元号は確認できる限り初めてとなります。使われたのは『初春の令月にして、気淑(きよ)く風和ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫らす(書き下し文)』という歌で、意味は『時あたかも新春の好(よ)き月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装うおしろいのごとく白く咲き、蘭は身を飾った香のごときかおりをただよわせている』という意味になります」と話され、講演が始まりました。

◇万葉集と須坂の関わり
「万葉集には『信濃なる須賀(すが)の荒野(あらの)のほととぎす鳴く声聞けば時過ぎにけり』という歌があり、意味は『信濃にある須賀の荒野でホトトギスの鳴く声を聞いていると、あっという間に都へ帰る時期が過ぎてしまう』という意味です。この歌をはじめ、歴代の和歌集の中には『須賀の荒野』という地名が入った歌が少なくとも16首存在します」と田子さんは話しました。
また、たくさんの和歌に詠まれる地名のことを歌枕といいますが、この「須賀の荒野」はどこを指しているのか諸説があります。特に有力なのは下伊那という説です。ところが200年も前に「須賀の荒野」は「菅平」ではないかと主張した人がいます。それが仁礼村(現在の仁礼町)出身の羽生田修平(のぶひら)という人物で、江戸に遊学もした優秀な国学者でした。さまざまな文献を参考にしながら仮説をたてており、後に清水浜臣(はまおみ)という江戸の国学者が記した『上信日記(じょうしんにっき)』にもそのことが書かれています。
平成5年には田子檀氏(当時上田女子短期大学教授)が同じ説を発表しており、「あと100年もしたら『須賀の荒野』が『菅平』として定着するかもしれません」と田子さんはまとめました。

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