<被災者取材①>突然の立ち退き宣告。あなたならどうしますか?

長年住み慣れた家。突然、「改修工事対象地域になったので立ち退いてください」と言われたら皆さんならどうするだろうか。

話を伺ったのは、広島県安佐北区白木町に住む新宅政好さん。安佐北区を南西に向かって縦断するように流れる一級河川三篠(みささ)川が自宅のすぐ裏を流れる。あの西日本豪雨災害から1年が経とうかという今年の6月、三篠川の河川改修工事の住民説明会で立ち退きを宣告された。

豪雨災害では自宅が床下浸水したほか、所有する1500坪以上の田畑に土砂や流木が流れ込んだ。豪雨災害直後、町内会長も務める新宅さんは、自宅や田畑の復旧作業に従事しつつ、町内の被災状況を取りまとめて市や県に伝えるなどの対応に追われた。

水の跡がついている玄関の上がり框(マチ)ギリギリまで浸水した。(写真左)田畑の土砂の搔き出しはボランティアに依頼できなかったため、親戚や娘家族たちに手伝ってもらった(写真右)

浸水の原因は家の裏手の川の氾濫ではなく、新宅さん宅の約50メートル上流で起きた第一三篠川橋梁の崩壊が原因だった。川の中に崩れ落ちた橋げたが川の流れを変え、その水が道路を伝って家の表側から浸水してきたのだ。

第1三篠川橋梁は10月中旬までに復旧工事を終え、10月23日に開通予定だ

実はこの第一三篠川橋梁は、1945年9月の枕崎台風の時にも一部が崩壊している。その際、崩壊した部分だけが修復されたが、今回の西日本豪雨で崩壊したのはその時に残置された部分、つまり修復されなかった古い箇所だった。「あの時に橋梁全部が掛け直されていれば…」という思いは拭えない。

枕崎台風の時の第一三篠川橋梁の被害を伝える平成24年9月の中国新聞の切り抜きを見せてくれた

災害から1年。突然の立ち退き宣告

新宅さん宅のすぐ裏を流れる三篠川。耐久性が強いという黒い土嚢が今も積まれたままだ。

復旧作業も目処がつき、やっと落ち着きを取り戻し始めた2019年6月。広島県と広島市から三篠川の改修工事に関する住民説明会へ参加するよう要請があり、そこで三篠川の川幅を広げるため河道掘削外工事をすること、その工事によって新宅さん宅とその隣の住宅の土地を掘削する必要があるため立ち退かなければならないことを告げられた。

「驚きましたよ。でも台風時期は雨が降るたびに「裏の川は大丈夫じゃろうか」と心配して川を見に行ったりしたけえね。工事をすることでそんな心配もなくなって安心に住めるようになるならそれもいいのかなと、説明を聞いたときはそう思いました」

時間が経過するほどに募る将来への不安

河川改修工事の内容が記された図面。この河川改修工事で新宅さん宅の半分の土地が削り取られてしまう

しかし時間が経つにつれて、家を壊す以外の方法は本当にないのだろうか、立ち退き後も今の生活レベルを保てるのだろうか…などいろいろな思いが頭をめぐり、考えれば考えるほど将来への不安は大きくなっていった。

立ち退き要請のあったもう1軒は、被災直後に転居したため今は空き家だ。そのため、実質、立ち退きが必要なのは新宅さんだけだ。もちろん家族や親戚たちは親身に相談にのってくれるが、同じ立場で相談しあえる仲間がいない。

さらに、二人を精神的に追い詰めているのが、今回の河川改修工事がここを皮切りに、その後、上流の5箇所で順次工事予定で、新宅さんの事例が今後の工事の先例となってしまうという事実だ。自分のことだけでは済まされないというプレッシャーが二人に大きくのしかかる。

そんな不安をよそに、説明会から1ヶ月後の7月には、県の担当者の立会いの元、住宅の周りや所有する田んぼの境界線に杭が打たれた。8月には土地家屋調査士が来て、家のコンセントの数から柱の大きさ、材質まで細かく調査した。県に提出する資料を作成して、その資料をもとに、年内には県の担当者が立ち退きにかかる費用を算出して話し合いに来るのだという。

袋屋根(社寺仏閣で見られる伝統的な屋根形状)など細部にこだわった家への愛着は深い

新宅さん夫妻が母屋をリフォームして新しく家を立て替えたのが平成10年のこと。当時、過去にも三篠川の改修工事計画がもち上がり今回のような立ち退きの話が出たことを思い出し、新宅さんは今後の工事の有無を広島市に問い合わせた。その時の回答は「今後、河川工事の予定はありません」というものだった。

「それを聞いて安心して家を建て替えたんじゃけど…。古い資料を調べてみたら、1965年と1967年にも床上浸水するほどの豪雨災害があって、その後、三篠川の改修工事が計画されたらしいんですよ。その改修工事計画の内容を見てみたら今回の改修工事計画の内容と全く同じでね。その時に工事をしとってくれたら、と思ってしまうんですよ」

「住みなれた土地で暮らしたい」ただそれだけ。

敷地内にある納屋や蔵はその構造上、引家での移動も難しいため取り壊される予定だ

子どもたちは「これを機に便利な広島市中心部に引っ越したら?」とも勧めてくれるが、先祖代々暮らして来たこの土地で、田んぼや畑仕事を続けたいのだという。

「幸い、うちの前に畑があるけえね。そこを宅地にして、引家(ひきや…家を壊さず移動させる業者)に頼んでこの家をずらせたらとも思っとるんですよ」

引家ができるとしても土地の整理や申請、業者探しなど課題は山積みだ。引家のプランを考えていることは、まだ広島市の担当者にも相談はできていない。

災害による多くの出費があったが、どの保険も対象外だったし、床下浸水だった新宅さん宅には県や市からのお見舞金など何もなかった。それも仕方のないことと受け入れてきたが、「義援金をもらったんでしょう」とか「立ち退き料がもらえるならいいじゃない」という何気ない言葉に傷つくこともあるという。

「最近、夜も眠れないんですよ。つい、いろんなことを考えてしまって。気分転換になっていた庭の花や畑の世話も、来年にはこの花や木はなくなっちゃうかもしれないと思うと手が止まってしまって。何にも手がつかないんです」

妻の君子さんも苦しい胸の内を明かしてくれた。

「災害直後よりも今の方が辛い」被災者が直面する現実

掘削される予定という新宅さん宅の隣地には、樹齢100年以上の大きなイチョウの木があり、地面には銀杏の実がゴロゴロと落ちていた。その立派なイチョウの木にも切り倒すという印のビニールテープが巻かれていた。

「災害直後より、今の方が辛い」と君子さん。その言葉が胸の深部に突き刺さる。
話を聞きながら、同じような想いをされている方が被災地と呼ばれる各地にいるかもしれないと思いを巡らせてみる。

この記事が、個人で不安な想いを抱えている方同士の情報共有のきっかけになれば。そんなささやかな希望を込めて、年内に行われるという話し合いの結果も引き続きレポートしていきたいと思う。

 

 

いまできること取材班
写真・文 イソナガアキコ

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