【社会人野球】「160キロ」も夢ではない―“子ども”からドラ1候補になった東海理化・立野和明

ドラフト上位候補に名前が挙がる東海理化・立野和明【写真:編集部】

高校時代から有望な選手も東海理化・奥山監督は「ポテンシャルは高いんですが…」

 プロ野球ドラフト会議が10月17日に行われる。社会人野球、東海理化のドラフト1位候補・立野和明投手も高卒3年目で“ドラフト解禁”となる。21才の右腕は、静かに運命の日を待っている。柔軟な股関節に強い体。まだ粗削りだが、“素材型”として、スカウトの評価は高い。最速152キロのドラフト候補投手になれたのも、心の成長があったからと周囲は証言する。

 社会人屈指の好投手として注目を集めるが、話し方はまだあどけなさが残る。ただ、投げるボールは力強くて重い。立野は中部大第一高時代から名前は知られていた存在だった。入社1年目から主戦としてまわり、球速は3年間で10キロもアップ。チームトレーナーと日々、考えながら、トレーニングを続けた。球速アップの一番の要因を問うと、立野からは「社会人としてのマナー、人間性を学べたからだと思います」と意外な言葉が返ってきた。野球の技術の話は二の次だった。

 高卒で入社した頃を思い返すと「空気が読めないというか、言う事を聞かなかったり、チームの方たちに失礼な態度をとっていたと思います」と反省の言葉ばかりが口を突く。1年目はチーム事情もあり、すぐに先発で起用された。公式戦も登板し、結果を残した試合もあった。しかし、東海理化・奥山博之監督が「ポテンシャルの高い“子ども”というか、お子ちゃまというか……大人になりきれない社会人だった」と話すように、雑用もまともにできないような高卒選手だった。道具の管理、飲料水の準備、トンボなどの片づけ……「目的が達成されていなかったんです」と笑う。

 当初は試合にも詰めの甘さが出ることもあった。立野の1年目のシーズンが終わった後、コーチから監督に就任した奥山監督は、全員の前で何度も立野を叱った。「お金をもらって、社会人野球をやっている意味を分かっているか? 学生の延長ではない。お前が点数を取られた分だけ、みんなが必死に取り返そうとしている。なのに、なぜ、そういう態度がとれるんだ?」。監督だけでなく、当時チームの主将だった松田智宏現マネージャーら先輩たちから、何度も指導を受けた。

“子ども”から“大人”へ…「すべての人に感謝の気持ちを持ってマウンドで」

 立野は「先輩たちはあれがダメ、これがダメとか、僕を否定をするのではなく、『できるんだから、やれ』という言い方をしてくれました。今、思うと本当に自分のことを考えて言ってくれていました」。すると、ピッチングにも好影響が表れた。チームメートを思う気持ちが勝負所での精度を高め、チームを勝たせるためには何が必要か、自分の球質にも磨きがかかった。東海理化は高卒選手を採用し、試合に起用もしているため、2年目になると後輩もでき、今度は立野が指導する側にもなった。責任感も同時に芽生え、だんだん“大人”になり始めた。

 技術面は成長曲線を描いた。筋トレや体幹トレも限られた時間と器具の中でメニューを組み、投球につながる動きを研究。特に関節の使い方を意識した。1年目は打たれて学んだことも多く、2年目はテクニックを覚えた。速いストレートを生かすためのカットボール、スプリットを習得し、空振りをより多く奪える投手に成長した。3年目は思うような結果は出なかったが、出場した大会ではすべて登板、けがをしない丈夫な体であることを証明してみせた。都市対抗野球はトヨタ自動車の補強選手として出場。経験も積んだ。

 今でも先輩からも可愛がられる選手で、笑顔でチームを盛り上げる存在。立野に好きな言葉を聞くと、熟考した末、「“感謝”です」と返ってきた。「自分に携わってくれた方、すべての人に感謝の気持ちを持ってマウンドで投げています」。プロで活躍することはひとつの恩返しでもある。奥山監督は「投げるバランスが非常によくて、まだまだ伸びしろがある子。プロでトレーニングをもっと学べば、球速も160キロを出せる可能性だってあると思います」と期待を寄せる。立野自身も「球速がすべてではないですが、150キロも自分は出せると思っていなかった。でも、投げるんだという目標は心のどこかに持っていたい。(160キロを)投げてみたいなと思います」と目を輝かせた。

 壮大な目標を打ち上げても、立野のポテンシャルを見てきた野球人ならば、絵空事とは思わない。立野が描く大きな夢。それは“子ども”と言われた1人の投手の成長を見守った社会人チームの先輩たちの夢でもある。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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