パブリカ・コンバーチブル - パブリック・カーだって風を感じて走りたい

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スポーツカーやオープンカーは、いちばんの憧れだった

・モデル名 :パブリカ800・コンバーチブル(初代・UP20S型)
・メーカー名:トヨタ
・年式   :1966
・撮影場所 :サクラオートヒストリーフォーラム2018

総数108万通以上の応募の中から選ばれたという、「パブリカ」という車名の由来は、「パブリック・カー」つまり大衆車ということはよく知られている。
名は体を表すとよくいうが、まさにパブリカはマイカー時代の到来を予感させるものだった。
実際、パブリカの大ヒットをもってトヨタは勢いをつけ、続くカローラを大ヒットさせて世界に冠たるメーカーへの第一歩を踏み出したのだ。

パブリカは昭和30年に通産省によって発表された「国民車構想」に基づいて、コンセプトが検討された。
まさに文字通りの国民車を作ろうという一大プロジェクトだったわけだ。

当時その「構想」で求められていたのは、4人乗りで最高速度は100km/h以上、リッター30km以上の低燃費、値段は25万円以下」というものだった。
本格的な量産ができるような自動車生産の技術力などまだほとんどない時代、言ってしまえばほとんど現実的ではないと誰もが考えた。

それでもこの「国民車構想」は人々のクルマに対する熱望感を刺激し、自分がクルマを持てる日を思い希望に胸を膨らませていた。
それをなんとか、近いかたちで実現しようと奮闘したのが、トヨタだったのだ。

コンバーチブルはパブリカシリーズの豪華版という位置づけ

そうしてその国民車構想に少しでも近づこうとして開発された「パブリカ」は、昭和36年に発売された。
シンプルきわまりない徹底的に質実剛健に仕立てられたクルマではあったが、練りに練られた設計に、足回りなど掛けるべきところにはきちんとコストがかけられた仕立ては、必要十分だった。
それどころか、シンプルゆえの軽量さもあって、軽快に走り燃費もすばらしく良かったのだ。

もっとも、機能的には立派であっても、やはりちょっとシンプルに過ぎたのか、初期のパブリカは若干販売に苦戦する向きもあった。
そこで少し排気量を拡大したり、スポーティ仕様や少し豪華な内外装が奢られたり、さらにはコンバーチブルも追加されるなどしてようやく「パブリック・カー」の代表といえる地位を獲得したのだった。

当時、スポーツカーといえばオープンカーであるイメージが強かったのもあって、パブリカ・コンバーチブルはスポーツカーのエントリーモデルとしても歓迎された。
オープンカーは2座がほとんどだった当時、4座のため実用性も損なわれていないのも人気の秘密だった。
コンバーチブルはパブリカの中で豪華版の位置づけだったので、サイドのメッキモールや光輝くメッキの大型バンパーも奢られたり、シートも少しスポーティな仕立てになっている。
今みても、風を感じながらパタパタと軽快に走る姿はとても魅力的だ。

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