『昭和40年男~オリンポスの家族~』佐川光晴著 いつ生まれても人生はがむしゃら

 昭和40年に生まれた男が主人公だ。彼はかつて体操選手として、オリンピックに手が届く寸前に、大怪我で選手人生を終えた。妻がスポーツメーカーの総合職として家計を支え、主人公は専業主夫として暮らし、20代と10代の娘を育ててきた。

 たくさんの人の人生が語られる。まず、もちろん主人公の人生。少年時代の世相や傾向。勉強第一で育てられた兄たちと、そこは期待されずに育った弟それぞれの思いと屈折。妻となった恋人の人生も語られる。主人公と同い年の「昭和40年女」。バブルの恩恵を受け、男女雇用機会均等法で、バリバリと世界を股にかけて働いてきた彼女にとって、「バリバリと世界を股にかけて働いてきた」ということそのものがまるごと、決して手放せないアイデンティティだ。

 妻の両親の人生も語られる。父親はいわゆる「星一徹」である。バレーボールチームの監督として、選手たちに罵詈雑言とビンタを浴びせ、今だったら大問題になるに違いない指導でたくさんの敵を作ってきた。家族に対してもひどかった。そんな父親に付き従い続けてきた母親が、突然、認知症になる。

 わかりやすい出来事は、もちろんいくつか描かれるのだ。コンプレックスに思い悩みすぎて口を閉ざしてしまった、主人公の下の娘の苦悶と復活。美貌に恵まれた、その姉の結婚。星一徹と家族との和解。

 けれど読後に残るのは、出来事の妙というより、登場人物たちの変化の感触なのである。星一徹が自分の子どもたちに対して態度を軟化させる瞬間。どうしても素直になれない主人公の妻が、固く閉ざしてきた心の蓋を不意に開ける瞬間。母親の望む通りに生きてきた長女の決断と、そんな大人たちを客観的に見つめる次女の成長。次女が「じゃりン子チエ」にドハマりして使う、不慣れな大阪弁が笑いを誘う。

 「昭和40年男」と題されてはいるけれど、結局、どの時代に生まれ生きても、皆それぞれに一生懸命である。人生に起こる何ひとつも、「時代」のせいでもおかげでもない。どの時代に生まれても、自分を生きる。そのことに人は格闘し、汗だくで笑うのである。

(集英社 1600円+税)=小川志津子

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