料亭文化を次代に 花月女将・中村さん 社長を兼務 長崎観光貢献に意欲

「皆さんに『ここに来たかった』と言われ続けられるよう努めたい」と語る中村さん=長崎市、史跡料亭花月

 創業377年の史跡料亭花月(長崎市丸山町)の社長に中村由紀子さん(61)が就いた。先代らに請われて女将(おかみ)となり4年。伝統を守りつつ、事務効率化も進めてきた。今後は両ポストを兼務し、長崎観光への貢献に意欲を見せる。
 実家は長崎市元船町の酒屋と割烹(かっぽう)店だった。39歳のころ、経営者の父が亡くなったのを機に同市の思案橋で小料理屋を開き、その後、仙台や福岡の会社で事務員として働いた。かねて県内財界人らに「花月の女将に」と誘われるも断っていたが、社長だった馬場馨氏から正式な要請を受け2015年、18年ぶりに帰郷した。女将は24代目とされる。
 全13部屋が入り組んだ間取りとあって、当初は客にあいさつして回るうちに「迷子になっていた」という。お椀(わん)など塗り物は必ず柔らかい絹で磨く。窓には6月から簾(すだれ)を、10月からは障子に取り換える-。多くのしきたりを頭に入れ、仲居ら従業員約50人の動きや、客同士が鉢合わせしないよう目を配る。
 事務員の経験を生かし、顧客名簿の整備に着手した。手書きからタブレット端末に変え、器や掛け軸は撮影しデータ管理。目についた品は専門家に価値を調べてもらう。QRコード決済にも対応した。
 長く勤め、過去にこだわる従業員もいたが、全体ミーティングを重ね次第にうち解けた。「馬場社長に毎日の報告相談を欠かさなかったが、任せてもらえたので動きやすかった」。約12年間続けた馬場氏の後を9月13日付で引き継いだ。1960年の株式会社化後、女将が社長に就くのは初めて。
 人材確保や、県史跡に指定されている建屋の維持など課題は少なくない。特に調理場は拘束時間が長く、高い技術を要する。高卒採用の女性が厳しい修業に耐えているが、中村さんは「これからは働き方改革が必要」と考える。木造だけに傷みが進み、数年のうちには大規模改修が避けられそうにない。ただ、床板1枚でも交換品を探すのに手間がかかる。
 今は株式配当できているが、卓袱(しっぽく)や芸妓(げいこ)といった料亭文化を次代に伝承するには「さらなる営業努力が求められる」。婚礼利用もあるが、もっと若者に利用してもらえる手だてを模索している。最近は来客の7割を県外からの観光客や出張客が占める。「皆さんに『ここに来たかった』と言われ続けられるよう、長崎の価値を落とさぬよう努めたい」
 人との出会いが多い商売。客から「女将は天職だね」と冷やかされると「上手にサボるから向いているのかも」と笑って応じる。花月に残る、幕末の砲術家、高島秋帆直筆の書にこうある。「静観」。今宵(こよい)も帰り客の心が満たされているのを静かに見届ける。

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