堤防決壊 「未来永劫の安心を」 “桜づつみ”に込めた住民の願い砕かれる 「長沼の桜よ、再び」 長野

こちらは被災する前の長野市長沼地区の様子です。決壊現場の穂保を含む長沼地区は、古くから水害に悩まされてきた地域で3年前、堤防の拡幅工事を終えたばかりでした。住民たちは、その工事に合わせ「強い堤防に」との願いを込めて、桜を植えました。植樹活動に奔走した男性は今、無念さを滲ませつつ、桜咲く堤防の復活を願っています。

堤防に咲く満開の桜。まだ若い樹ですが2キロ以上に渡って並木を作っています。長沼の春の光景です。

その桜の堤防が・・・

およそ70メートルにわたって決壊し、濁流が長沼を飲み込みました。

(関茂男さん)「よもや、まさか・・・あれだけお願いして、未来永劫、千曲川の増水に対して、安心して住めるところだと、確信していたのに切れてしまった」

関茂男さんは長年、桜が植わる「桜づつみ」を実現するために活動してきた住民の一人。自宅が床上50センチまで水がつき、今は親族の家に身を寄せています。

「桜づつみ」の取り組みは、堤防の幅を2倍以上に広げる国の工事と同時に行われました。工事は10年に渡り、3年前に完了したばかりです。堤防の拡幅は、古くから水害に悩まされてきた住民の願いでした。

地区にある妙笑寺には、江戸時代以降に地域を襲った洪水の水位が記録されています。寛保2年・1742年の台風による災害「戌の満水」では、水位が3メートル45センチまで達しました。この時は、196人が亡くなり、294戸の家屋が流されたと伝えられています。地区には、江戸時代に「105回、水がついた」という記録も残っています。

(長沼交流センター・宮沢秀幸所長)「過去に何度もご先祖さまから水害の歴史を聞いていますので、そういった意味で水害の歴史、被害の情報・教訓が受け継がれている」

地域の歴史に詳しい長沼交流センターの宮沢所長は、今回の浸水被害は「戌の満水」に次ぐ規模ではないかと考えています。

(長沼交流センター・宮沢秀幸所長)「妙笑寺さんも今回、1階の軒下まで水がついたといいますから、約3メートルくらい。そう考えると、ワースト2ということになるのではないか」

16日、水が引いた寺を訪ねると・・・

(リポート)「境内は、泥で埋め尽くされ、灯籠も倒れています。そして、木々がなぎ倒されたその奥に、あの柱が残っていました。今回、もっとも多かった『戌の満水』に迫るほど水がついたということです」

国土交通省の氾濫シミュレーションでは、千曲川の堤防が決壊すると、長沼地区では、9時間後に最大5メートル以上、浸水すると予想されています。

最新のハザードマップによると、1000年に1度の大雨を想定した被害では、広い範囲で最大級の「水深10メートルから20メートル」の浸水があるとされています。

水害と隣り合わせの長沼は、毎年、住民総出の防災訓練をし、意識を高め合ってきました。

そして、水害の歴史を忘れない為に、強い堤防をつくるために、住民は期成同盟会をつくり10年かけて堤防に桜を植えました。

(関茂男さん)「お子さんや孫、ずっとこれからの子孫の皆さん方に、絶対に安心・安全な長沼を残そうと」

期成同盟会の会長を務めた関さんは、住民に理解や協力を求めて奔走しました。

桜の堤防が完成した時は・・・

(関茂男さん・2016年当時)「有史以来の宿願といいますかね、悲願が叶ったということで、地域一同で喜ぶと同時に、行政の皆さんに感謝したい」

しかし、完成からわずか3年で堤防は決壊しました。

(関茂男さん)「残念だし、地域の皆さんに謝りたい気持ちがいっぱい。(堤防は)絶対、切れないよと、それだけの堤防を作るから(植樹)お願いしますと、全ての住民にお願いしたんだから。長沼が二度とこういうことのないような堤防にしてもらいたいというのはある。決壊場所は、すぐに直してもらって、これ以上の堤防を子孫に残したい。大変な思い、みじめな思いを子孫に味わってもらいたくない」

桜は順調に育ち、関さんたちはこの春、初めて桜づつみで「花見の会」を開きました。

関さんは、復旧工事が終われば、また堤防に桜を植えるつもりです。いつか、桜の木の下で住民たちが笑顔で集える日が来ることを願っています。

(関茂男さん)「倒れたところには植えていくんです。桜を愛でて楽しむというのは、しばらくはできない。20年、30年たったら村人たちは(花見を)やってくれると思う。桜は毎年咲くの、今年のこの被害を忘れたように。また来年、いい桜が咲いてくれる」

※住民総出の防災訓練まで動画あり

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