このところは獲得する選手をうまく扱うことができ、ユルゲン・クロップ監督らスタッフのマネージメント力が飄香されているリヴァプール。
しかし、これまでの歴史を見ればもちろんリヴァプールで全く輝くことができずに終わり、後に才能を証明したという選手も…。
『Planet Football』から、「リヴァプールで大失敗しながらも復活を遂げた7名の選手」をピックアップしよう。
スソ
スペイン人の攻撃的MFは、ブレンダン・ロジャーズ監督が就任した初年度に14試合で起用された。
10代でカディスからリヴァプールのアカデミーにやってきた彼はかなり期待を集める存在にはなっていたが、トップチームに入るには十分な条件が整っておらず…。
2015年に退団を決意してACミランに加入して以来、セリエAで重要なプレーヤーとしての立場を確固たるものにし、スペイン代表にも選ばれている。
イアゴ・アスパス
セルタで一貫性あるプレーを見せていたイアゴ・アスパス。2013年にスペイン代表にも初招集され、そしてリヴァプールへと移籍した。背番号はエースナンバーの9を与えられている。
彼がリヴァプールで出場したのは14試合。しかも覚えられているのはチェルシー戦での悪名高いコーナーキックの場面でしかないわけだが…。
しかし彼はセビージャへのローンを経てセルタに復帰すると、それからはまさに獅子奮迅の活躍。リーガでも屈指のストライカーとしてゴールを量産し続けている。彼は後に「あのコーナーキックは皆が持っている僕の最大の思い出だろうけど、サッカーはいつも次のチャンスを与えてくれるのさ」と語った。
ルイス・アルベルト
スソやイアゴ・アスパスと同じスペイン人のルイス・アルベルト。セビージャのアカデミーで育成された彼は、バルセロナのBチームに貸し出されたあとにリヴァプールへとやってきた。
ブレンダン・ロジャーズ監督の下であまり出場機会を与えられず、マラガ、デポルティーボ・ラ・コルーニャへのローン移籍を経験し、結局わずか9試合しか起用されなかった。
ところが2016年にセリエAのラツィオに移籍すると、24歳でその才能をフルに発揮。堅実で一貫性のあるプレーを見せつけている。
ミケル・サン・ホセ
アスレティック・ビルバオの下部組織で育成されたバスク人DFは、トップチームに上がる前にリヴァプールへ引き抜かれた選手だ。18歳でイングランドへと渡り、プロキャリアをスタートさせた。
ラファエル・ベニテス監督のお眼鏡にかなった形でアンフィールドへとやってきたものの、結局トップチームでは一度も使われず。契約最終年度にアスレティック・ビルバオに貸し出され、そのまま古巣へと復帰した。
そしてバスクでレギュラーに定着すると、2014年にはスペイン代表にも初招集されるなど目覚ましい成長を遂げている。
ライアン・バベル
アヤックスからやってきたバベルは、決してリヴァプールで大失敗したわけではない選手であるが、もう少しいいタイミングでチームに入っていれば…という思いを持っているサポーターは多いはずだ。
2007年に加入してから91試合に出場したものの、常にチームからの信頼が厚かったわけではなく、移籍の噂も数多く流れる中で2011年に退団することとなった。
その後はホッフェンハイム、アヤックス、カズムパシャ、アル・アインなどを渡り歩くジャーニーマンとなったが、2017年から所属したベシクタシュで再ブレイク。オランダ代表にも復帰し、2度目のピークを迎えている。
アルー・ディアラ
ジェラール・ウリエ監督が惚れこんだ巨漢ボランチ、アルー・ディアラ。2002年に加入した際、彼は「NEXTパトリック・ヴィエラ」と呼ばれる存在であった。
しかしリヴァプールでプレーしたのはゼロ。3年間ローン移籍を繰り返し、フランスに送り返されることとなった。
その後ランスで活躍した彼はリヨン、ボルドー、そしてマルセイユで活躍。フランス代表でも44試合に出場するなど重要な存在となっている。
ジュリアン・ディックス
バーミンガム・シティとウェストハムで長く活躍したDFディックス。クラブ年間最優秀選手にも2回選ばれた経験を持ち、その実績を引っさげてリヴァプールへと加入した。
1993-94シーズンのデビュー戦はエヴァートンとのダービーマッチで、いきなり失点に絡んでしまった。さらにスーネス監督が解任となり、後任のロイ・エヴァンズが彼をあまり評価せず…。
結局1年後にウェストハムへと戻ることになり、そこで再び2回のクラブ年間最優秀選手に輝いている。ハマーズファンもレジェンドの帰還と復活を大いに喜び、彼の功績はロンドン・スタジアムの額に飾られている。