とす新風土記〜「鳥栖市誌」を読む〜 第85回

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奈良時代の2つの役所 〜基肄郡家(ぐうけ)と養父郡家〜

奈良時代、鳥栖基山地域には基肄郡と養父郡の2つの郡があり、それぞれ役所である郡家(郡衙)が設置されました。
基肄郡には、城(基肄城)・軍団と駅家(うまや)が、養父郡には烽(のろし)(朝日山)が設けられますが、この狭い鳥栖基山地域に2つの郡を配置した理由として、基肄城や軍団の設置による国内各地からの人口の移入に伴うさまざまな需要に対応するために、2つの郡に切り離されて整備された可能性が考えられています。
基肄郡家の有力な候補地は、JR基山駅周辺とされていますが詳細は不明です。一方「肥前国風土記」の記述からみると、弥生が丘周辺に存在した可能性が指摘されています。それを裏付けるような区画溝や計画的に配置された大型建物跡などが発掘調査によって確認されていますが、存続期間が8世紀中頃から後半までの一時期のみに限定されるため検討が必要です。

養父郡家は、近年の調査で蔵上町一帯が確実視され、多数の掘立柱建物や柵列などが確認されています。また、郡家に関係する「厨番(くりやばん)」と記された土器も出土しています。なお、空中写真から解読すると、中心部分は蔵上老松神社の西端を東辺とした約50m四方程度であると推定されます。
また、養父郡家の位置を補足する場所として、西側の麓刑務所付近から瓦や掘立柱建物の柱穴が確認されています。「養老令」倉庫令には、「倉は高くて乾燥した場所に設けること。倉から150m以内に館舎を建てないこと」などが規定されており、この周辺に郡家の正倉が設置されていたようです。
なお、近隣の養父八幡神社には壬生春成(みぶはるなり)の伝承があり、養父郡司の居館跡ではないかと考えられています。(鳥栖市誌第2巻第3編第2章より)

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