家族の一員へ 「ずっとここに居られるように嫌われたくない」 【連載】家族のかたち 里親家庭の今(3)

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 半年ぶりに取材で会う彼は、髪形のせいか、少し雰囲気が明るくなっていた。今年の春、佐世保市の大学に進学した太一さん(18)。「勉強もサークルもバイトも良い感じです」。表情から充実したキャンパスライフがうかがえた。
 彼は4歳の時から里親に育てられた。里親の糸永富美男さん(57)、真利子さん(59)夫婦=佐世保市=は、初めて出会った日のことを鮮明に覚えている。2004年11月、里親登録をして間もなくだった。打診を受け、児童養護施設を訪問すると、幼い子どもたちが一斉に駆け寄ってきた。
 「誰のパパ?」「誰のママ?」
 親を待ち続ける、屈託のないたくさんの笑顔に「衝撃」を受けた。
 その中の一人が太一さんだった。受け入れを判断するため、3カ月ほど交流を重ねた。当時高校1年の長女、中学1年の次女、小学4年の長男と一緒に水族館へ出掛け、自宅で宿泊もした。「この家、楽しそうだな。施設よりもすごくいい」。太一さんには温かい記憶として残っている。
 夫婦は里子の受け入れに前向きだった。だが、親戚からは「自分の子どもを育て終わってからにしなさい」と反対された。悩んでいると、長女に覚悟を迫られた。「他人に言われてやめようとするくらいなら受け入れない方がいい」。さらに子どもたちは「施設に戻さないで」と訴えた。夫婦は一定期間、家庭で育てる「養育里親」として迎え入れる決心をした。
 糸永家の一員となった当初、太一さんは「素直でいい子」だった。半面、自分の意見を言わない「つかみどころのない子」でもあった。「ずっとここに居られるように嫌われたくない、そんな気持ちはあったと思う」と太一さん。2歳で施設に預けられた彼は、家族という関係や環境がよく分からず「不思議な感じ」で過ごしていた。
 夫婦は3人の育児経験を生かし「しっかりと育てる」と意気込んだ。だが、親の愛情をほとんど知らないまま育ってきた彼に、経験はほとんど通用しなかった。


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