「捕まえるだけが仕事じゃない」薬物依存者に寄り添う元刑事の揺るぎない信念

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蜂谷嘉治(はちや・よしはる)さん(10月10日、東京都内、弁護士ドットコムニュース撮影)

捕まえるだけが刑事の仕事ではないーー。

そんな思いを胸に、薬物依存に苦しむ人たちに寄り添う元刑事がいる。今年9月まで、警視庁の「組織犯罪対策第五課」に所属していた蜂谷嘉治(はちや・よしはる)さん(62)だ。

違法薬物の使用・所持は「犯罪」となる。しかし、蜂谷さんは「刑事は取り締まるだけでよいのか。そうではない」と考え、現役時代から薬物使用者たちと向き合ってきた。

彼は刑事として、どのように薬物使用者と向き合ってきたのだろうか。(編集部・吉田緑)

●母の暴力、売春…薬物依存に悩む女性との出会い

10月10日、都内で開かれた勉強会(株式会社ヒューマン・コメディ主催)で、蜂谷さんは覚せい剤をやめられなくなったハナさん(仮名・20代女性)のエピソードを聞かせてくれた。

ハナさんは2016年1月、ラブホテルで一緒にいた男性とともに、覚醒剤取締法違反の疑いで逮捕された。

当初、ハナさんは黙秘を続け、何ひとつ語らなかった。ところが、ある日、取調室で蜂谷さんが披露した落語にプッと笑った。

蜂谷さんは、毎日落語を披露し続けた。取り調べが終わりに近づくころ、ハナさんは自分のことを少しずつ話すようになった。

<売春をしている母から受けた暴力、万引き常習者の祖母の自殺>

ハナさんは母、祖母、曾祖母(そうそぼ)と暮らしていた。祖母は万引き常習者で、母は売春をしていた。母からは殴られたり、蹴られたりするなどの暴力を振るわれていた。そのたびに、曾祖母がハナさんに覆い被さり、「やめて」「殴らないで」と守ってくれた。

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小学3年生のとき、曾祖母が亡くなった。その後、祖母が万引きをしている姿を同級生に見られた。「万引き犯」「おまえのおばあちゃんは泥棒」。そう言われるようになったハナさんは学校に行けなくなった。

ある日、祖母はビルの11階にハナさんを連れていった。「どこに行くの?」と聞くハナさんに、祖母は「天国だよ」と答えた。

「私がいなくなったら、ハナはあの母親と2人になってしまう。一緒に天国に行こう」という祖母の言葉に怖くなったハナさんは、その場から逃げた。祖母はその後、ビルから飛び降りて自殺した。

<母に教わった売春、覚せい剤との出会い>

14歳になっても学校に行くことができなかったハナさんに、母は「学校なんて行かなくたっていいんだよ。女はカラダで稼げ」と言い放った。

そして、母はハナさんに1枚の紙を渡した。

 

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母が紙に書いた住所に行くと、そこは売春をする場所だった。

ハナさんは売春で生計を立てるようになった。そして、出会った男性に覚せい剤を打たれ、覚せい剤をやめられなくなった。

●ハナさんと共に歩んだ「回復」への道

裁判では、ハナさんに執行猶予付きの判決がくだされた。

ハナさんは、裁判が終わった後も蜂谷さんのもとを訪れた。母と暮らし、自傷行為がやめられないというハナさんが自立できるよう、蜂谷さんは動き出した。

身分証明書を作ったり、携帯電話の契約をしたりするなど、ハナさんは蜂谷さんと共に、自立への道を歩み始めた。そして、自分でみつけた福祉施設の仕事を始めた。

ところが、仕事先でハナさんは、毎日の夜勤を強いられたり、月給7万5千円の低賃金で働かされたりしていた。このことを知った蜂谷さんは、施設の働かせ方を問題視。ハナさんに仕事を辞めた方がいいと助言した。

ハナさんが「仕事を辞めたい」と施設長に伝えると、「おまえみたいなのが雇ってもらえるだけありがたく思え」と言われた。

蜂谷さんは、何があってもハナさんに寄り添い続けた。面接にも同行した。たとえ上手くいかなくとも、諦めなかった。

 

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「介護がしたい。施設で暮らしているおじいちゃん・おばあちゃんを曾祖母だと思って、恩返ししたい」と語ったハナさん。その思いにこたえるべく、駆け回った。

蜂谷さんの後押しもあり、ハナさんはある福祉施設に採用された。現在、ハナさんは働きながら、介護福祉士の資格取得を目指しているという。

●「自分も一緒になって参加する」

これまで、蜂谷さんが寄り添ってきたのは、ハナさんに限らない。

 

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警視庁は、2007年10月から2009年3月まで、「薬物再乱用防止モデル事業」として、薬物事犯で検挙され、執行猶予判決を受けることが見込まれる男性(保護観察に付された人は除く)に対し、執行猶予の判決が確定した後に、薬物依存回復プログラムを受講させるという取り組みをおこなった。

蜂谷さんが当時勤務していた愛宕(あたご)警察署からは10人の当事者が参加した。しかし、ほかの警察署からは1人も参加者がいなかったという。

「行けと言われて行く人はいないでしょう。彼らを迎えに行ったり、待ち合わせたりするなどして、刑事も一緒になって参加することです」。

モデル事業が終了した年の8月、蜂谷さんは愛宕警察署による「第1回 NO DRUG愛宕」を開始。名称を「NO DRUGS(ノードラッグス)」に変更し、薬物依存に悩む当事者やその家族と語り合うグループミーティングを10年続けてきた。参加者の前で落語(「落語で伝える薬物問題」)も披露した。

「もっとできたという思いがあります。でも、組織の中では限界がありました」。

●今は「元」刑事、今後は幅広い支援活動を

まわりからは「刑事の仕事は捕まえること。回復支援や就労支援は仕事ではない」と言われたこともあったという。そんな時、支えとなったのが「捕まえるだけが刑事の仕事じゃない」。同じく刑事として、暴力団対策に奮闘した蜂谷さんの父が口にしていた言葉だ。

父の言葉はいつの間にか蜂谷さんの信念ともなり、「再犯を防ぐためには、手を貸していかなければならない」との思いを胸に刑事人生を送ってきた。

「人は好き好んで犯罪をするわけではありません。いろいろなひずみがあり、犯罪に手を染めてしまう。みんな根が悪いわけではなく、それぞれ優しい気持ちも持っています。

執行猶予判決が出たら終わりなのではなく、その後の関わり方が大切だと思います。

どこにその人の『優しさ』や『人間らしさ』があるかを見出してあげて、それを育ててあげられる環境に送ってあげること。それが、刑事の仕事なのではないでしょうか」

今は「元」刑事。だからこそ、できることがある。今後はNPOを立ち上げ、「薬物依存に苦しんでいる人や犯罪をした人たちの支援をおこなっていきたい」と意気込んだ。