ボブ・ディランにとってのゴスペル「スロー・トレイン・カミング」 1979年 8月20日 ボブ・ディランのアルバム「スロー・トレイン・カミング」がリリースされた日

何かの雑誌の取材でニック・ケイヴが “80年代のベストアルバム” として、ボブ・ディランの『スロートレイン・カミング』を挙げていたのが印象に残っている。1979年の発売にもかかわらず80年代のベストに選んだということからも、ニックにとってこのアルバムがいかに自身の琴線に触れたかがわかるだろう。

しかしこの作品はディランが、ボーン・アゲイン・クリスチャンとして活動を始めた、いわゆる「迷走期」の始まったアルバムとしても知られる。ニックにはどのような思いがあったのだろう。そして、なぜディランはゴスペルを「歌わなければ」ならなかったのか。

-- 話はまず宇宙から始まる。太陽系の果てを目指して今も孤独な旅を続けている探査機、ボイジャー。遭遇するかもしれない未知なる生命の為、なんとボイジャーにはレコードが1枚備え付けてあるそうだ。その名も『ボイジャーのゴールデンレコード』。

地球上のあらゆる生命体の音声を記録したレコードには、各国語や国や地域を代表する音が刻まれている。その中でチャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」と並び “アメリカの音楽” として収録されたのが、ブラインド・ウィリー・ジョンソンの「ダーク・ワズ・ザ・ナイト、コールド・ワズ・ザ・グラウンド」という曲だ。

ブラインド・ウィリー・ジョンソンは主に1920~30年代にかけて活躍したゴスペル(=黒人霊歌)シンガーで「ブルースとしてのゴスペル」とも呼べる音楽を残した巨人である。彼は神の福音をギターと歌で伝道した “ギター・エヴァンジェリスト” なわけである。

ブルースはアメリカンロックの中で、今でも大きな存在である。何しろ、太陽系の先まで自国の音として届けようとしているのだから! 音楽だけでなくアメリカ自体を語る際にもキリスト教は必要不可欠だ。そして偉大なアメリカ音楽、ブルースのルーツのうちの一つにキリスト教の伝道師の存在があるのは興味深い。

話をディランに戻そう。彼はアメリカ音楽の全ての象徴のようだ。ファーストアルバムからアメリカのトラディショナル(=伝承曲)の「ゴスペル・プラウ」やウディ・ガスリー、1920年代に活躍したカントリーブルースのスター、ブラインド・レモン・ジェファーソンの曲をカヴァーしている。ギターと歌で演奏できるアメリカ音楽の全てを彼は追求したようにも思える。

ルーツミュージックに忠実であること。ディランの音楽活動は、この言葉に尽きると思う。ニック・ケイヴもスタンスは同じでありバッド・シーズと共にリリースしたアルバム『ファーストボーン・イズ・デッド』は、その名も「ブラインド・レモン・ジェファーソン」という曲で締めくくられている。ニック・ケイヴはディランに憧れたのであろう。

そして、ルーツミュージックの中にゴスペルも当然含まれる。であるから、このようなアメリカ音楽の歴史を紐解けば、ディランがゴスペル三部作を発表したことは、実に当然のことであったと理解できる。ディランがゴスペルを歌わない理由はないのだ。

もちろん、ディランにゴスペルを歌わせたのは彼の信仰である。けれども、それ以前にロックミュージシャンとキリスト教は切っても切れない関係にある。ロックンロールのオリジネイターの一人、リトル・リチャードが牧師になった話を思い出していただきたい。そしてキリスト教圏のミュージシャンとキリスト教の結び目には、ゴスペルサウンドが鳴っているのである。

…… 後追いだから言えるのだろう。当然80年代の皮膚感覚を知らない僕にも、ディランの “転向” の衝撃は伝わってくる。しかしグラミー賞を受賞し、マーク・ノップラーのギターが素晴らしいこの『スロー・トレイン・カミング』には、アメリカ音楽の伝統が作り上げた美しさがあることは世代を超えて伝わってくるのだ。

カタリベ: 白石・しゅーげ

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