イノベーティブな世界市民育成のために 〜関西学院大学〜

小高い丘を登り、青々とした芝生の向こうに立つ時計台と背後に聳える甲山を見上げ、「この大学で学ぼう」と入学を決意した村田治学長。それから40年余。「Kwansei Grand Challenge 2039」(KGC2039)※1を軸に、さらなる改革を加速させる関西学院大学を牽引する。「時計台を中心に実学的な学部を左、精神的な営みを探求する学部を右に配し、その両面を身につけるというキャンパスの構図※2が、“素直な”気風を育ててきたのではないか」「今後は品位に加え、強さを取り入れていくことが課題」と語る村田学長に、Society 5.0※3へ向けての人材育成、そのための改革についてお聞きしました。

※1:創立150周年となる2039年を見据えた「超長期ビジョン」と、2018~2027年の方向性を示す「長期戦略」からなる。教育の質保証や学生の学修成果の修得、「質の高い就労」の実現に向けST比の改善、神戸三田キャンパスの活性化、理系の充実などのための実施計画が盛り込まれている。

※2:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrel Vories 、1880 ~1964年)の設計による。ヴォーリズはアメリカ合衆国に生まれ、1905年に来日し、宣教活動の傍ら、学校建築をはじめ数多くの西洋建築を手懸けた。西宮上ケ原キャンパスの設計では、関西学院の個性と独自性を赤い瓦屋根とクリーム色の外壁が特色のスパニッシュ・ミッション・スタイルで表現した。2017年には、1929年の上ヶ原キャンパス移転以来、その設計思想を継承しながら施設の機能向上を図っていることが評価され、日本建築学会(業績)賞を受賞している。

※3:AI、Iot、ロボティックスなどの進歩によって到来する超スマート社会。

more

経済のグローバル化が進む中、少子化、高齢化社会を迎え、労働人口が急減する日本が、これまでの豊かさを維持するにはさまざまな分野でのイノベーションが欠かせないと考えられます。その担い手として期待されるのがベンチャー企業、中でもそれを牽引するアントレプレナー(起業家)で、その育成は多くの大学の共通課題となっています。

近年、日本は、これまでの経済成長を支えてきたイノベーションを生む力が弱まってきていると言われ、多くのイノベーションには何らかの技術革新、またはそれを促す研究開発力が欠かせないとされています。そのバロメータとも言える優れた論文の増加率は他の先進諸国に比べて見劣りし、世界シェアも低下、またかつては世界一だった特許の出願件数も3位へと後退しています。研究開発への投資額はヨーロッパと比べて遜色ないのに結果が出ていない。これは「人材育成の方法や組織がうまく機能していないからだ」と言わざるをえません。

原因の一つと考えられるのが、理数教育の弱体化。この春には文部科学省と経済産業省が「数理資本主義の時代」をまとめ、Society 5.0 へ向けては理数能力の育成が急務であると警鐘を鳴らしました※4。また、2017年度には、日本の研究開発力の低下はゆとり教育で数学と理科の授業時数が極端に減ったことが原因ではないかという、経済学者グループによる報告も出されています※5。これはスタンフォード大学のハヌシェク博士(Eric.A.Hanushek :エリック・アラン・ハヌシェク)による、PISA(Programmefor International Student Assessment:国際的な学習到達度に関する調査)等の国際学力テストの数学と科学の成績が、生産性や経済成長率と相関関係にあるという指摘とも一致します。

AIやIoT(Internet of Things)、ロボットに日常的に囲まれるSociety 5.0では、文系の人間であってもこれらの基本的な構造を理解しておくこと、理数系についての基礎的な素養、特に微積分学、代数学、そして統計学などの理解は最低限必要でしょう。しかし日本ではこれまで、大学受験のために理系と文系を分け、大学進学後も卒業後も、その区分に沿ったキャリア形成が大半を占めてきました。その結果、理系人材は文系の出身者に比べてコミュニケーション能力が低く、逆に文系人材は論理的思考能力が弱いなどの極端な通説(俗説)さえも生まれています。

ここへきて、中央教育審議会でも高校段階での文理分けをなくし、たとえば数学なら全員に数Ⅲまで学ばせることなど、大学分科会と初等中等教育分科会を巻き込んだ議論が始まろうとしています※6。

日本における人材育成や組織のもう一つの弱点は、戦後、工業化による高度成長を目指して大量生産に適した人材を育てることに力が入れられ、アントレプレナーに求められる個性や強みを伸ばすことに注力しなかったことです。

nextpage

Society 5.0へ向けて、求められる能力、教育の目的が世界的に変わる中、この方法は限界にきています。日本経済団体連合会会長による昨年の新卒一括採用についての発言はその象徴ではないでしょうか。「日本人はプロセスイノベーションに強くて、プロダクトイノベーションが弱い」、つまり「できたものをより効率的に生産していくのは得意だが、新しいものを作るのは苦手」などとも言われてきました。しかし、関西学院の二つの国際学校※7の生徒たちを見ている限り、これは教育や制度、組織のあり方によるものだと実感しています。

この度の大学入試改革の目的の一つは、教科の学力という、人間の能力のほんの一部を問うことからの脱却です。アントレプレナーに求められる資質なども含め、偏差値で表される学力以外の能力を伸ばそうという意識が、教育において希薄になっていたことは否めません。新しい学習指導要領の下、今後、中学、高校では「主体的に学習に取組む態度」を育む探求型学習などが重視され、基礎学力の養成においてもこれまでとは違ったアプローチが図られます。大学としても、高校までの取り組みをしっかり受け止められる入学者選抜の方法を充実させ[左コラム]、これからの社会で求められる力、企業のニーズはあるが具体的には示せていない力、イノベーションを生むための力の育成に注力していかなければならない。日本の教育もここで変わらないと、社会や経済は危機的な状況に陥ると思われます。

※4:理数系人材の産業界での活躍に向けた意見交換会の記録をまとめたもの。「Society5.0の実現には、高い理数能力でAIのデータを使いこなす力に加え、課題設定し、それを解決していく力や、異なるものを組み合わせる力など、AIでは代替しにくい能力を用い、価値創造を行う人材が求められている」とある。

※5:「学習指導要領の変遷と失われた日本の研究開発力」。西村和雄(神戸大学特命教授)、宮本大(同志社大学)、八木匡(同志社大学)による。

※6:4月 17 日の中央教育審議会への諮問の中で、高等学校教育のあり方について「いわゆる文系・理系の類型にかかわらず学習指導要領に定められた様々な科目をバランスよく学ぶことや、STEAM 教育(Science(科学)、 Technology(技術)、 Engineering(工学)、Art(芸術)、Mathematics(数学)等の各教科での学習を実社会での課題解決に生かしていくための教科横断的教育の推進」とある。

※7:関西学院千里国際中等部・高等部と関西学院大阪インターナショナルスクール。

JEP(Japan e-Portfolio)事業

関西学院大学は昨年度まで、国の「大学入学者選抜改革推進委託事業(主体性等分野)」に採択され、 eポートフォリオを活用するなどの研究プロジェクトを行ってきた。今春には、複数の大学と一般社団法人教育情報管理機構を立ち上げ、引き続きeポートフォリオを入試に反映させていく仕組みについて研究する。

本学ではこの春から、日本アイ・ビー・エム株式会社と組んで、全学部生を対象に「AI活用人材育成プログラム」を始めました。大学卒業後、営業や現場を統括する職種に就く学生であっても、これからはAIの知識、さらにはAIへどのようにデータを与えればいいのかなどを知っておかなければならないからです。AIに代替できない能力の育成も急務と言えます。この観点からは、卒業までに身につけるべき能力・資質を10のKwanseiコンピテンシー(下図)としてまとめました。

知識、技能に関するものは二つしかなく、本学の重視する「誠実さと品位」が組み込まれています。もともと各学部には学位プログラムがあり、それぞれに入学者選抜、カリキュラム、学位授与の三つの方針(AP、CP、DP)がありますが、多くは知識レベルのアウトカム、アウトプットを求めていますから、それらに加え、すべての学生が学部の区別なく身につけるものと位置付けました。入学時と卒業時の2度の調査で達成度を測り、これに就職先や社会へ出てからの活躍の様子、あるいは入試の成績などを加味すれば、IR(InstitutionalReserch:大学経営に必要な調査や分析、またはその組織)の貴重な資料にもなるはずです。コンピテンシーの育成を教育の一つの柱として考えると、対面式の、人と人とが向き合う教育がますます重要になってきます。と同時に、正課の授業で知識を学び、技能を身につけることに加え、幅広い経験も不可欠です。そこでKGC2039では、課外活動、体育会や文化クラブの活動などを、正課外教育として位置付けました[下コラム]。チームワーク力やリーダシップ、あるいは忍耐力などの育成には、これらの活動が大いに役立つからです。さらに言えば、キャンパスのありよう、たたずまい、その美しさへの配慮も欠かせません。それらはそのための大きな力になるはずだからです。

アカデミックエリジビリティー

(関西学院大学体育会員に関する対外試合出場のための資格制度)
今春の入学者から実施されている、体育会所属の運動部の学生に対して一定の単位を取らなければ試合に出場できないとする制度。一般社団法人大学スポーツ協会(UNIVAS)の動向も見据えながら、学生スポーツ、運動部の活動は、本来、教育の一環であると、文武両道の原則を再確認する。

2021年春、理数系人材育成の強化と、文理横断教育の加速を通じて、これからの社会が必要とするイノベーションの起こせる人材、アントレプレナーの育成を目的として理系を中心に神戸三田キャンパスを大きく改編します。

キャッチフレーズは“Be a Borderless Innovator”(境界を超える革新者)。学生が国境、文系・理系の枠、学問分野、大学と社会などの様々な境界を越えて活躍することをイメージしています。具体的には現在の理工学部を理学部、工学部、生命環境学部、建築学部の4学部に改組、発展させ、総定員はほぼ変えることなく再編します※8。規模は拡大せず分野を広げ、分野横断型の学びを充実させたい。関西の私学では最もバラエティーに富んだ理系の拠点を目指すとともに、地球規模の課題解決を目指すサスティナブルエナジーの一大研究拠点の形成も図ります※9。文系と理系、学問分野間の境界を越えた学び、分野横断型の教育システムの展開にも力を入れます。一つは、西宮上ケ原キャンパスで実績のあるメジャー・マイナー制度を神戸三田キャンパスでもさらに発展させます。すでに本学では、学部間の垣根が低いという特徴をいかして、2004年に4年間で二つの学位を取るマルチプル・ディグリー制度を、2014年のスーパーグローバル大学創成支援事業(SGU)採択以降は「ダブルチャレンジ制度」※10を教育の基本に置いてきましたが、神戸三田キャンパスでもこれらをさらに強化していきたいと考えています。また、メジャー・マイナー制度ほど大がかりではありませんが、各学部から基礎的な専門科目を中心に 12科目程度の科目群を提供してもらい、他学部の学生が自由に履修できるようにする予定です。アントレプレナーの育成では、理系でありながらもアントレプレナーシップを持った人材、特に今後は数学のできる人材が重要視されることから、理学部を開講母体に、アントレプレナー育成科目をつくり、これに総合政策学部が提供する「経営、知財、会計、マーケティング等の科目群」や、「AI 活用人材育成プログラム(10 科目)」を組み合わせた育成プログラムを創設。同窓のベンチャー企業創業者らの支援でインキュベーション機能も整備し、学生の起業を後押します。新たに設ける学部では、工学部を物質工学、電気電子応用工学、情報工学、知能・機械工学の4課程からなる課程制とし、物質と電気電子、情報と知能といった隣同士の課程でマルチプル・メジャー制度を設け、「タコ壺型」の教育・研究に陥らないようにします。建築学部では、かつての構造計算中心から、デザインや都市計画などについても学べるよう時代に合ったカリキュラムを提供します。工学系であると同時に、総合政策学部と連携し、理系、文系双方の視点から学びを深めてもらおうと考えています。さらに、理学部は、1961年の西宮上ケ原キャンパスでの発足時の名称に戻し、私学としては唯一、電波、X 線、赤外線の3つの天文学を揃えた「物理・宇宙学科」を創設する点が大きなトピックスとなります。生命環境学部では、国際的なPBL(課題解決型学習)プログラムに力をいれるとともに、植物、昆虫、微生物について機能分析などから取り組む「生物科学科」を創設します。また、医学部ではないものの、生命について学べる生命医科学科の充実も図りたいと考えています。以上ご紹介した予定、構想のほかにも、1年半後の開設までには企業との連携も含めたいくつかの仕掛けも用意しようと考えています。

※8:新設の学部・学科・課程の名称は仮称(設置構想中)。今後、変更になる場合がある。総合政策学部は現在の590名を495名にする一方、建築学部を含む理系は805名と増やす予定。

※9:4月にはSDGs推進本部を発足。中でも大きな柱であるエネルギー問題については、理学部の次世代有機ELやパワーエレクトロニクス、生命環境学部の人工光合成、建築学部のネット・ゼロ・エネルギービルの研究などに期待が集まる。

※10:全学生が自身の所属学部や主専攻の学び(ホームチャレンジ)に加えて、異なるものとの出会いの場に挑戦する(アウェイチャレンジ)独自の教育制度。「インターナショナルプログラム」(留学等の国際交流)、「副専攻プログラム」(他学部での体系的な学び)「ハンズオン・ラーニング・プログラム」(社会での実践型学習)の3つから構成される。

関西学院大学 学長

村田 治先生

1955年生まれ、東京都出身。1980年3月 関西学院大学経済学部卒業、1982年3月 同大学院経済学研究科博士課程前期課程修了、1985年3月 同博士課程後期課程単位取得退学、経済学博士。1989年関西学院大学経済学部助教授を経て、1996年教授。教務部長、経済学部長、高等教育推進センター長を務め、2014年より学長。2017年より中央教育審議会委員。専攻はマクロ経済学、景気循環論。著書に『公債と財政赤字のマクロ理論』(有斐閣 1996年)、『現代日本の景気循環』(日本評論社 2012年)など。あしなが育英会副会長(2005年~)も務める。大阪府立生野高等学校出身。

© 大学ジャーナルオンライン