女性に暴力をふるうなんて言語道断!(写真はイメージです)
関谷大貴(仮名、裁判当時28歳)は中学卒業後は父親の経営する工場で働き始めましたが長続きせず、他の職業を転々としましたが、ここ数年は無職のままでした。
働くこともなく、ずっと自宅にいる彼は数年前から同居する母親に暴力をふるうようになっていました。刃物を持ち出して「これで人を刺したらどうなるかなあ」と脅す、という行為もしていたそうです。
事件当時、被害者となった母親は、自宅で内職の仕事をしていました。
そんな母親の後ろから彼は、
「なにか甘いものない?」
と訊ねました。母親は仕事中です。
「ない」
と簡単に答えました。彼はこの返事や態度に腹を立てました。背後から母親の首を締め、抵抗する母親の左腕を爪で引っ掻いて傷をつけました。
母親に対しての暴行はこれだけですが、実はもう1人被害者がいます。その時自宅にいた妹です。妹は知的障害者で、言葉によるコミュニケーションが取れません。母親に暴行を加えただけでは苛立ちが治まらなかった彼はこの妹にも先ほど母親にしたのと同じように首を締める暴行を加えました。
母親が止めに入ったためにケガらしいケガをすることもなく済みましたが、母親はその後、知人に彼の暴力について相談し警察に被害を訴えるようアドバイスされ、結果として彼は暴行罪で起訴されることになりました。
この事件で大きな被害者は二人とも大きなケガを負ったわけではありません。被害結果は軽微なものです。それでも裁判での検察官、裁判官の追及は厳しいものになっていました。
次にあげるのは検察官の尋問の一部です。
――今回の事件の原因はお母さんの態度、口調だと思いますか?
「怒りが抑えられずやってしまいました」
――今考えて、暴力をふるうほどのことだと思いますか?
「まわりから見たらそう見えるかもしれませんけど…」
――お母さんだけでなく妹にも暴力をふるったのはなんで?
「口論の流れで八つ当たりというか…近くにいたのでその流れで…」
――妹なら抵抗しないからじゃないの?
「イライラしてて、流れで当たってしまいました」
――関係ない人に暴力をふるうことに、流れもなにもないのはわかりますか?
「怒りを抑えることができませんでした」
――あのね、この事件より前から自分の怒りを抑えられてなかったわけでしょ?
「抑えられないわけじゃないですけど、カッとなってやってしまいました」
――あなたさ、平成27年にも女性に暴力をふるって罰金刑受けてるよね。これ、誰?
「当時、付き合ってた彼女です」
――いつもあなたは身近で力の弱い女性に暴力をふるっている。自分にそういうところがあるっていう自覚はないの?
「いや、周りからみたらそう見えるかもしれませんけど…」
――じゃあ、ないのか?
「いや、周りはそうですけど…」
――それはもういいです。あなたの暴力に対して罰金刑がくだされたことについてあなたはどう思ったの?
「本当に反省してそれからやってないですし…」
――やってるよね? いや、もういいです。質問終わります。
彼は母親や妹、交際相手に暴行を加えるような男とは思えないほどに小さな、まさに蚊の鳴くような声で質問を答えていました。
何度も裁判官から「もっと大きな声で話すように」と注意されても改まりませんでした。
次は裁判官による尋問です。
――お父さんと、あと弟さんも同居してるみたいだけどお父さんと弟に暴力をふるったことはないの?
「弟はそもそもほとんど話さないですし、その二人に暴力をふるったことはありません」
――そうか。何故、君の暴力が向かう先はいつも女性なんだろうか?
「母とは口論になることが多かったです」
――違う。そうじゃない。前も含めて、何故君の暴力はいつも女性に向かうんだ?
「彼女の時もケンカをする機会が多くて、イライラさせられることが多かったです」
――そういう問題か?
「女性に暴力をふるうのはダメだと思います」
――思う、じゃなくて、何故君は女性に暴力を向けるのかをさっきから訊いてるんだ。
「反省して、もうやらないようにしていきます」
――要は自分よりい弱い相手に暴力をふるって、甘えてるだけなんだよ。僕にはそう見える。何故そんなことをするのか突き詰めてよく考えないと、また同じことを繰り返すぞ?
「反省してもうやらないようにします」
――それはわかった。もうやらないためにも突き詰めて考えないと繰り返すぞって言ったんだ。
「……」
――わかった。もう戻って。
検察官はこの後の論告で、
「自己の甘えからくる非常に幼稚で悪質な犯行であり、まして障害を抱える妹にまで暴力をふるったという犯行態様は言語道断」
「根深い粗暴癖がうかがわれ、もはや罰金刑では被告人の反省を促すには限界がある」
と厳しく非難し、懲役10ヶ月を求刑しました。
彼自身、無職で学歴もなく、社会的には弱者と呼ばれる人です。何かしらの生きづらさを抱えて苦しんでいたのかもしれませんし、鬱憤も溜まっていたのかもしれません。
だからといって、その鬱憤を自分よりも弱い人に暴力を用いて晴らすことなど赦されるはずがありません。
事件後、母と妹は家を出て別の場所で生活を始めました。彼の暴行によって家族はバラバラになったのです。(取材・文◎鈴木孔明)