「あまりに鮮烈だった」―阿部慎之助が大学時代にプロから放った“伝説の一発”

巨人・阿部慎之助【写真:Getty Images】

大学時代に日ハムのキャンプに参加していた阿部「とんでもない打者になるなと思いました」

 2019年のプロ野球はソフトバンクが3年連続日本一を達成し、全ての日程が終了した。巨人は5年ぶりにセ・リーグを制覇し、6年ぶりに日本シリーズに進出したものの、頂点には届かず。引退を表明していた阿部慎之助捕手も現役生活に幕を下ろした。

 通算2282試合出場、打率.284、406本塁打、1285打点という偉大な成績を残した球史に名を刻む「打てる捕手」は、対戦相手から見てどんなバッターだったのか。ヤクルト、日本ハム、阪神、横浜の4球団で捕手としてプレーし、昨季まで2年間はヤクルトでバッテリーコーチを務めた野球解説者の野口寿浩氏は、プロ入り前からそのとてつもない打撃センスに驚かされたという。

「阿部が大学生だった当時、アマチュアの有力選手をプロのキャンプに派遣するという制度があったんです。確か大学3年生だったと思いますが、阿部は当時、私が所属していた日本ハムのキャンプに来て、シート打撃で岩本(勉)からバックスクリーンへ特大のホームランを打ちました。これはすごいなと驚きましたね。2週間くらい一緒に練習をして、守備はまだまだだなと思いましたが、バッティングは凄いものがあるなと。大学生が、その当時エースだった岩本から、まだ調整段階とはいえ特大のホームランを打った。その一打があまりにも鮮烈で、プロに入ったらとんでもない打者になるなと思いました」

 プロの強打者を目の前で見続けきた野口氏が脱帽するほどの凄まじいバッティングだったというのだ。そして、阿部がプロに入って対戦するようになってからも、その印象は変わらなかった。

「例えば、3連戦の頭にミーティングをすると、その中で『今回状態がいい選手』として必ず名前が出てくるのが阿部でした。『状態が悪い時はあるのか。いつもいいじゃないか』と。そういう選手でした。ストライクゾーンの中だけで勝負しようと思ったら絶対に抑えられないバッターでしたね。ボールゾーンを使ったり、足を動かすようにして、時にはひっくり返したこともありましたが、どうにかしてボールを球を振らせかった。でも、ボール球をヒットにされたこともありました。ローボールヒッターとかハイボールヒッターとか、インコースがうまいとかアウトコースがうまいとか、そういうくくりの中には入らないバッターでした。ストライクゾーンの中は大体ヒットにしてしまうバッターでしたね」

「人見知りで、グラウンドにいる時はあまりしゃべらなかったという印象」

 では、当時の「人間性」はどうだったのか。野口氏は「すごく物静かでしたね。人見知りで、グラウンドにいる時はあまりしゃべらなかったという印象です。アマチュアの選手同士で固まっている時はワイワイやってましたが、プロの中に1人で入ってしまうと喋らなかった」と振り返る。巨人でも、入団当初から非凡な打撃センスを見せてあっという間に欠かせない選手となったが、初めは松井秀喜氏、高橋由伸氏といった強打者についていくような存在だった。しかし、気がつけば強烈なリーダーシップでチームを牽引する選手になっていた。

「リードは結果が全てを物語るものなので、結果が出ない時に色々と言われたこともありましたが、若いピッチャーをどんどん引っ張っていた。『阿部さんが言うんだから』と言わせるようになったのはすごいことだと思います。最初のうちは“やんちゃ坊主”だったかもしれませんが、周りからの信頼を勝ち得ていった。いい指導者になるでしょうね。

 もちろん、選手としての阿部がいなくなるのは精神的にも戦力的にも非常に痛いと思います。まだものすごい戦力でしたから。シーズン中盤から終盤にかけて、原監督が『ここ』というところで使ってきていました。あの原監督が使っていたのですから、まだチーム内ではそういう位置づけだったということでしょう。『そういうところで活躍してくれるように調整しておいてな』と春先から言われていたのかもしれません。それに見事に応えましたよね」

 偉大なキャリアを積み上げ、球史に名を残す捕手となった阿部。大きな存在がいなくなり、巨人は来季から新たな“時代”に突入することになる。(Full-Count編集部)

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