
美土路昭一(みどろ・しょういち)
ラグビーワールドカップ(W杯)の代表チームは、国外出身選手も活躍している点で特徴的だ。違和感が支配的だった日本では、自国チームの躍進をきっかけに、人々の見方が変わってきている。
W杯日本大会で史上初の決勝トーナメント進出を果たした日本代表が、菊池寛賞を追加受賞することになった。
日本文学振興会は「今年日本で開かれたラグビーワールドカップにおいて、史上初の決勝トーナメント進出を果たす。様々な国から来た選手たちが『ONE TEAM』となり強豪国を破る姿は、日本中に勇気を与えた」と説明。
ついこの前まで、「ラグビー日本代表はガイジンばかり」と揶揄されていたのとは隔世の感がある授賞理由だ。
3年住めば代表資格
国籍はラグビーの代表選手資格の必須要件ではない。国際統括団体のワールドラグビーが定める代表選手資格の規定は、「その国・地域生まれ」、「両親か祖父母の1人がその国・地域生まれ」、「3年以上継続してその国・地域に居住」のいずれかを満たせば良いというユニークな内容だ。
ラグビーは英国発祥で英連邦諸国を中心に発展してきた。連邦内で人が移動する中、ニュージーランド、オーストラリアなど移住先でもプレーすることで競技が広がり、移住者が現地の代表として試合に出場できるようにするために、こうしたルールが定められたと言われている。
だから、国外出身選手がいるのは日本だけではない。日本戦に先発したアイルランドのナンバー8、CJ・スタンダーは南アフリカ出身で南アのU18、U20代表の経験があり、スコットランドは他国・地域生まれながら祖父母の世代の出生地で代表資格を得た選手が7人もいる。
躍進で見方に変化
「ラグビー日本代表はガイジンばかり」という口さがない批判に対して、ラグビーライターやラグビージャーナリストは規定や歴史的経緯などを説明して反論してきた。
しかし、その反論は長く社会にまったく受け入れられなかった。当然だろう。ラグビー界という狭い村の中の理屈を外の社会にいくら主張しても、理解を得られるわけがなかった。
日本代表を見る社会の目が大きく変わるきっかけが、2015年W杯での躍進だった。
「勝てば官軍」の要素に加えて、報道量が激増したことで、各選手の人となりが広く知られるようになった。それまでは片仮名の名前の「ガイジン」の1人だった選手が、例えば、大阪をこよなく愛して関西弁を使いこなすトンプソンルークという1人の人間として知られるようになったことで、外国出身選手への理解や共感が大きく広がった。
今大会は国内開催とあって、大会前から選手の人物像に迫る、さらに膨大な量のニュースが流れた。私の古巣の朝日新聞も、英国の新聞のような技術や戦術の解説はほとんどなく、選手の人情話が中心だ。
社会全体の変化も大きかった。
DNAか文化か
今年6月末の在留外国人の数は総人口の2.24%となる約283万人で、2大会前のW杯が開かれた2011年の末に比べて38%も増えている。今年4月には外国人受け入れ拡大を図る改正出入国管理法が施行され、日本社会は多文化共生を否応なしに迫られている。
元駐中国大使の宮本雄二氏は2015年W杯での日本代表の活躍を受け、同年10月の日本経済新聞のコラム『あすへの話題』の中で、欧州の国家は「DNAより文化を重視した区分け」であると説明。
「DNAの研究が進み日本人自身、縄文時代から多様なルーツを持っていたことが分かってきた。そうなると、そろそろ血統だけではなく文化を重視した日本人論が出てもいい。ラグビー日本代表の選考基準は、われわれにそのことを考えさせる重要なきっかけを作ってくれたのではないだろうか。」と書き、日本代表が今後の日本社会のあり方のモデルの一つとなりうるという考えを4年前に示していた。
国籍気にしなかった観客
フランスの右翼政党「国民連合」のマリーヌ・ルペン党首の父親で国民連合の前身の極右政党「国民戦線」党首だったジャンマリ・ルペンは、かつて、アフリカからの移民の子孫が多く起用されたサッカーのフランス代表を「ほとんどの選手はラ・マルセイエーズを歌わないどころか、知りもしない」と攻撃した。
ラグビー日本代表は国外出身選手やジェイミー・ジョセフヘッドコーチら外国人スタッフも含めて全員が日本の国歌を覚え、歌っている。あの排外主義の極右政治家であっても、韓国生まれで韓国籍の具智元が試合前に君が代を歌う姿を見たら、何も言えないだろう。
具がアイルランド戦で相手ボールスクラムを押し勝って雄叫びを上げると、エコパスタジアムを埋めた観客はその姿に歓喜し、彼の名前を叫んだ。スコットランド戦で負傷して退場して無念の涙を流した時は、横浜国際総合競技場全体が胸を締め付けられた。
観客は国籍という属性にとらわれず、目の前で日本のために文字通り身体を張って戦う人間を自分たちの代表として応援した。そして、スタジアムの感情の高まりはテレビ中継やソーシャルメディアを通じて社会に広がった。
国内組でこその協力態勢
1次リーグの最中、東京スタジアムに歩く途中で懐かしい顔と再会した。
元日本代表のジェームス・アーリッジ(日本での登録名はアレジ)。母国ニュージーランドに住む彼は、妻や子どもと来日して数週間滞在し、大阪ではドコモ時代のチームメイトとも会うと楽しそうに話していた。
アーリッジはNTTドコモ関西(当時)に所属していた2007年4月に日本代表にデビュー。正確なゴールキックと本場仕込みのゲームメイクで期待されながら、負傷で同年のW杯には出場できなかった。
翌年、英国のクラブに移籍して日本を離れたが、当時のジョン・カーワンヘッドコーチは彼を2011年W杯まで日本代表に選出。国内にいない外国籍選手に司令塔を任せることに賛否両論が起こった。
現在、こうした選手選考は不可能だ。ジョセフヘッドコーチは、今年だけで計240日の強化合宿を行ったと話している。2015年W杯前も合計160日。選手をこれだけ長期何拘束できるのは、全所属チームの協力があってこそだ。
昨シーズンのトップリーグでは、代表候補のコンディション維持のため、試合に出場させない「プロテクト節」も設けられた。「海外組」では、こうした協力態勢は不可能だ。
この点で、今回の日本代表は、日本ラグビー界全体が協力して作り上げた、まさに日本ラグビー界の代表チームと言える。
地縁の重視に理解
Jリーグの村井満チェアマンは日刊スポーツのコラムでラグビーのW杯や日本代表を取り上げ、「ご存じのようにナショナルチームの考え方も大きく異なり、多様性を許容しています。国籍よりも地縁を大切にしているのでしょう。」と書いている。
サッカー取材歴が長いスポーツライターの杉山茂樹氏は自身のブログで「23人中19人が海外組で占められるサッカーと、30人中15人が外国出身者ながら、30人全員が国内組であるラグビーと。違和感を抱くのはどちらかと言えば、いい勝負になってきている」とした上で、「重要なのはルーツなのか、いまいる場所なのか。」と問題提起している。
日本では社会にようやく理解され、モデルとして受け入れられるようになった代表チームの国外出身選手だが、今度は欧州で今回のW杯を巡って問題視する声があがった。
「台無しにしている」
震源地はアイルランドだった。ジョウ・シュミット監督は、今年8月10日のテストマッチ初出場のわずか2日前に3年居住の要件を満たした南アフリカ出身のロック、ジャン・クラインをW杯代表に選出。そのあおりで落選したのが、キャップ67のベテランで生まれも育ちもアイルランドのデヴィン・トウナーだった。
ワールドラグビーのピチョット副会長がこれに反応した。母国アルゼンチンには外国出身選手はいない。ピチョット副会長は「私がトウナーだったら、ワールドラグビーに答えを尋ねる。彼をかわいそうに思う」と
してこの選手選考を問題化し、シュミット監督が「我々はルールに基づいて選考している。ワールドラグビーの人間なのだから、ルールがどうなっているか確認すべきだ」と反論する騒ぎになった。
1次リーグ期間中には、元ウェールズ代表キャプテンのポール・ソーバーンが地元メディアの記事の中で日本代表やクラインの選出を挙げ、「居住期間で代表資格を得られる規定がW杯を台無しにしている。ワールドラグビーは恥を知るべきだ」と厳しい口調で非難した。
居住5年に変更されるが
ワールドラグビーは2017年5月の理事会で、来年12月31日から代表資格獲得に必要な居住期間を現行の連続36カ月から60カ月に延長すると決めている。
それが一つの解決になるのか。
ソーバーンは「5年でも長いとは言えない。居住年数による代表資格はなくすべきだ」と主張。シュミット監督は、サンダースやサモア系のCTBバンディー・アキを例に挙げ、「彼らがどれだけ地域に貢献してきたことか。何年いれば、彼らが受け入れられたことになるのか、私には分からない」と話している。
※アジア初開催のラグビーW杯。BBC NEWS JAPANでは日本戦や注目試合の結果をお伝えするとともに、ラグビーを長年取材してきた美土路昭一氏のコラム<美土路の見どころ>を不定期に掲載しています。
美土路昭一(みどろ・しょういち)朝日新聞記者(ラグビー担当)としてラグビーW杯1995南アフリカ大会を取材。元日本ラグビーフットボール協会広報・プロモーション部長。早稲田大ラグビー部時代のポジションはSH。1961年生まれ。