被爆地とカトリック 法王来崎を前に(3) 【法王来日】「人間の仕業」に疑問氷解

恵の丘長崎原爆ホームを訪問し、手を挙げるローマ法王ヨハネ・パウロ2世=1981年2月26日、長崎市三ツ山町

 「戦争は人間の仕業です。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です」
 1981年2月23日から26日にかけて、ローマ法王として初めて来日した故ヨハネ・パウロ2世は、被爆地の長崎と広島を訪問した。広島市の平和記念公園では核兵器廃絶と非戦、平和を力強くアピールした。
 「これで摂理の問題も氷解した」。法王が長崎市の大浦天主堂を訪問した際、案内役の一人を務めた長崎市相生町のカトリック信徒、小西伸一さん(80)はこう感じた。
 小西さんは爆心地から4.2キロの大浦天主堂前で被爆。天主堂のステンドグラスの破片で頭を負傷した。原爆で叔母を失い、後に父も放射線が原因とみられる病気で亡くなった。
 永井隆博士が原爆投下を「神の摂理」と表現したことで「本当に神様がやったことなのか」と疑問がくすぶっていた。だが「戦争は人間の仕業」と明言した法王の言葉に留飲が下がる思いがした。
 ヨハネ・パウロ2世が来崎したのは、過去のキリシタン弾圧の中で信仰を守り、多くの殉教者を出した長崎を巡礼することに加え、被爆者を励まそうとしたからだ。
 法王の言葉は多くの信者を刺激した。社会福祉法人純心聖母会が運営する長崎市の恵の丘長崎原爆ホームでは、入所被爆者に「皆さんの生きざまそのものが戦争反対、平和推進のため最も説得力のあるアピールです」と呼び掛けた。
 これを受けてホームでは、入所者を対象に被爆証言の収集が始まり、翌82年から証言集を随時発行するようになった。証言の聞き取りを担当している職員の丸田春美さん(38)は「今まで話してこなかったという人は意外に多い。高齢化して記憶は薄れつつある。今がしっかり証言を聞ける最後の時期だと思う」と気を引き締める。
 戦前戦中の教会は戦争一色の空気に逆らえず、長崎でも「兵器献納募金」や「国威宣揚祈願ミサ」が行われた。被爆者でカトリック長崎大司教区の野下千年司祭(81)は「人を殺すな、敵を許せというのが教えなのに、戦勝のために祈る支離滅裂さがあった。だが、それが戦争なんだと思う」と語る。
 法王の平和メッセージを機に、日本のカトリック教会は過去を省みて、積極的に平和のメッセージを発信するようになった。82年には、広島・長崎の原爆の日と終戦記念日を含む8月6~15日を「平和旬間」に設定。多くの信者が平和を願い、祈りをささげている。

【連載】被爆地とカトリック 法王来崎を前に

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