原爆の恐ろしさ伝える 被爆者ら ウクライナの高校生に

ネット会議システム使用

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ウクライナの学生に向けて被爆体験を伝える早崎さん(右)=長崎市、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館

 長崎市平野町の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館で25日、インターネット会議システムを使用し、被爆者らが国内外の人々へ被爆体験を伝え、意見を交わす「ピースネット」があった。長崎平和推進協会継承部会の早崎猪之助さん(88)が、ウクライナのコロステン公立第7学校の高校生約40人に原爆の恐ろしさを語った。
 早崎さんは14歳の時、爆心地から約1.1キロの三菱兵器製作所大橋工場で勤務中、上司の指示を受け部品の修理をする「技術ビル」で被爆。建物内の柱が盾となり奇跡的に軽傷で済んだ。外に逃げ出すと多くの人が横たわり水を求めていた。落ちていた布団の綿を引きちぎり田んぼの水を含ませ、水を与えた。その中には友人もいたが、おいしそうに飲んだ5分後には息を引き取ったという。「いいことをしたと思ったが、人を殺してしまった」と涙が止まらなかったと話した。
 質疑応答では生徒から「どういう人が、なぜ被爆者を差別したのか」と質問。早崎さんは、放射能の影響でいつ病気になるか分からず「会社の履歴書にも被爆者と書くと落とされた。女性は被爆者と口にせず、遠く離れた地の人と結婚した人が多かった」と話した。