米国空手界のパイオニア ロサンゼルスで暮らす人々-vol.801

By Yukiko Sumi

出村 文男 / Fumio Demura 空手家、スタントマン

糸東流空手道玄武会(http://www.genbukai-hq.org/)の出村文男さんは米国における空手のパイオニア的存在。「武道は人間形成が根本」と、競技としてよりも精神面の鍛錬を大切に指導を行っている

「Karate」という単語が世界に広まり、根付いてから久しい。ここ米国でも各地に各流派の空手道場が数多く存在する。在米50年を超える出村文男さんは、米国空手道のパイオニア的存在だ。27歳のころに渡米し、演武会やショーによってその知名度と人気向上の立役者となった。

「空手と柔道が混ぜられていて区別されていなかった」という当時、まずはロングビーチで演武会を開く。これが当たり、ブエノパークで空手のショーを始めた。後にスターとなるショー・コスギ、スティーブン・セガールなども出演していたこのショーが成功を収め、次にラスベガスへ場所を移した。通常、日本の空手演舞は寸止めのため相手が動かない。そのため当初は観客の反応が悪かった。そこで、大げさに吹っ飛んだり痛がるなど打撃が当たったような動きを加え始めると、真に迫る迫力が大人気となり、観客を呼び込んだ。この評判がきっかけとなり、出村さんは映画界へ足を踏み入れることになる。

1977年、『Dr.モローの島』に出演し、空手で鍛え上げた身体を生かしたスタントを披露。SAG(米国映画俳優組合)にも加入しオーディションを受け始めた。「英語ができないから受からない」状態が続いたが、後に大ヒット作となる『カラテ・キッド』との出会いがこれを一変する。主人公の少年にカラテを伝授する〝ミヤギさん〟役のオーディションへ行き、英語のセリフが多かったため断ってしまった出村さん。役はほかの俳優に決まったが、後日「ミヤギ役の俳優が空手ができない。スタントをやってほしい」と依頼を受け、スタントマンとして出演することが決まった。同作ではシリーズ最後まで〝影のミヤギ〟を務め、その他さまざまな作品でもスタントマンとして活躍した。

スタントマンとしても活躍した出村さん(右)は、人気ハリウッド映画『ベスト・キッド』シリーズで“ミヤギさん”役のノリユキ・パット・モリタ(左)のスタントマンを長年務めた

本業の空手道では1968年から道場をオープン。1973年には撮影中に心臓麻痺で倒れ、5年前には医療ミスにより脳溢血を起こす不運にも見舞われた。手足に後遺症が残り、今でもリハビリのため折り鶴を折る毎日。しかし空手への熱意は変わらない。一代で築き上げた糸東流空手道玄武会の支部は米国だけで約50あり、世界では23カ国に1万人以上の弟子を持つ。サンタアナの道場では自ら教えている。「空手の根本は人間形成。気配りができて、世の中に出て役に立つ人間を育てるのが武道」と、礼儀や精神面の指導に重きを置く。「まだまだ長くここでやっていこうと思っている。アメリカに来て自分の世界が広がった。来た当時は大変だったけれど来てよかった。これからも支部を増やしていきたい」。80歳目前の今も、情熱を燃やし続ける。

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