炎上の首里城 翻弄の歴史 廃藩置県、沖縄戦…苦難経て「象徴」に

激しく燃え上がる首里城の正殿=31日午前4時ごろ、那覇市(近隣住民撮影)

 沖縄の〝象徴〟が燃え崩れた。31日未明に那覇市の首里城で発生した火災は、正殿と北殿、南殿が全焼するなど、主要7棟の計約4800平方メートルが焼失した。突然の災禍に沖縄では「県民のシンボルを失った」(城間幹子那覇市長)と衝撃や悲しみが広がっている。建造以来、時代の荒波に翻弄され続けてきた首里城の歩みを振り返る。

火災で正殿(中央)などを焼失した首里城=31日午後0時39分、那覇市(共同通信社ヘリから)

 首里城は琉球国王の居城として15~16世紀に完成した。以来、1879年の廃藩置県により琉球王国が崩壊するまで、政治・文化、宗教の中心であり続けた。その後は荒廃したが1925年、正殿が当時の「国宝」に指定され、大改修も行われた。

1925年に出版された「沖縄写真帖第1集」(坂口総一郎氏著)に掲載された「旧首里城正殿」(国立国会図書館デジタルコレクションより)

 しかし、1945年に米軍の攻撃を受けて炎上し、焼失した。標的になった理由は、地下に旧日本軍の司令部壕が造られていたためだった。

首里城跡に開学した琉球大学(沖縄・那覇市首里)

 戦後、その跡地は琉球大のキャンパスとして使用されていたが、92年、本土復帰20周年を記念して正殿などを復元した首里城公園が部分開園した。

2000年7月、沖縄サミットで首里城をバックにG8各国首脳らと記念写真に納まる森喜朗首相(中央)=那覇市

 2000年7月、九州・沖縄サミットで夕食会が開催され、同12月には首里城跡を含む「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」が世界遺産に登録された。その後も往時の姿を再現しようと、継続して復元工事が行われてきた。

首里城の正殿=2014年8月、那覇市

 沖縄総合事務局によると、首里城公園は1992年の部分開園から2018年までに約6000万人が来園した。沖縄観光の目玉として、近年は外国人観光客の姿も目立っていた。(構成、共同通信=松森好巨)

炎上する首里城を見つめる市民ら=31日午前6時8分、那覇市

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