沖縄の〝象徴〟が燃え崩れた。31日未明に那覇市の首里城で発生した火災は、正殿と北殿、南殿が全焼するなど、主要7棟の計約4800平方メートルが焼失した。突然の災禍に沖縄では「県民のシンボルを失った」(城間幹子那覇市長)と衝撃や悲しみが広がっている。建造以来、時代の荒波に翻弄され続けてきた首里城の歩みを振り返る。
首里城は琉球国王の居城として15~16世紀に完成した。以来、1879年の廃藩置県により琉球王国が崩壊するまで、政治・文化、宗教の中心であり続けた。その後は荒廃したが1925年、正殿が当時の「国宝」に指定され、大改修も行われた。
しかし、1945年に米軍の攻撃を受けて炎上し、焼失した。標的になった理由は、地下に旧日本軍の司令部壕が造られていたためだった。
戦後、その跡地は琉球大のキャンパスとして使用されていたが、92年、本土復帰20周年を記念して正殿などを復元した首里城公園が部分開園した。
2000年7月、九州・沖縄サミットで夕食会が開催され、同12月には首里城跡を含む「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」が世界遺産に登録された。その後も往時の姿を再現しようと、継続して復元工事が行われてきた。
沖縄総合事務局によると、首里城公園は1992年の部分開園から2018年までに約6000万人が来園した。沖縄観光の目玉として、近年は外国人観光客の姿も目立っていた。(構成、共同通信=松森好巨)