「タイマンしようぜ」で少年達が逮捕 罪名は“決闘罪” これだと『クローズ』『High&Low〜』もアウト! 

こういうのだって「犯罪」ってことになっちゃいますが?(画像は『映画「クローズZERO」【TBSオンデマンド】』より

東京都足立区の荒川河川で高校一年の少年二人がタイマンをしようとして、書類送検されました。罪名は明治時代に施行された決闘罪。なぜ、明治時代の法律を持ち出してまで、取り締まらなければらなかったのでしょうか。

決闘罪で逮捕されたのは、近年の不良少年史では2002年4月、茨城県石岡市で暴走族同士の乱闘で約100年ぶりに適応されたものです。

当時、僕は『実話ナックルズ』の編集長でして、ご自身も元暴走族で、現在は不良少年文化評論を展開している岩橋健一郎さんが「100年前の法律を駆使してまで逮捕するものですかね」と呆れていたのを覚えています。

今回の荒川河川敷きの「事件」も、ですから今に始まった事ではなく約20年前から始まったのです。すなわち、

「不良少年の取り締まり定番方法」

なのです。

岩橋健一郎さんに話を聞いてみました。

――タイマンて岩橋さんの時代も頻繁にありましたよね

「当然、自分なんかの時もありました。でも大体、警察が喧嘩両成敗するんで。お互いが了承しての『喧嘩しようぜ』は警察が来ても喧嘩両成敗になっていました。まして、タイマン勝負は致命的でも負わない限り、大怪我はしないです。

――元々、タイマンは大勢で少数を襲う事がないように頭同士が勝負するって事です

「そうです。100人対10人だと、これは悲惨な事故・事件になってしまうかもしれない。だったら頭同士が『タイマンで行こうぜ』となります。でも、それをもダメだとなると、何が正しいのか。『潔さの暴力』まで否定しちゃう事になります。

――ある意味、「暴力はここまで」と言う前提がタイマンですよね。

「そうですね。タイマンなら、子供たちがここまでと、止める。その少年たちの純粋な力の差を見せつけようぜ、という時に大人(警察)が入ってきてしまう」

――逆効果だと思います?

「そうなると、子供たちはどうしたら良いのか。『ささいな暴力』を否定してしまうと、その人間たちを救出する事も出来ない。暴力は確かにいけないのですが」

――岩橋さんの時代は警察はどういう対応でしたか?

「警察にタイマンする場所を見つけられても警察は『いい加減にしろよ』と猶予をくれました。人情味がありましたね」

――決闘罪が今ごろ施行された背景をどのように推測しますか?

「背景は組織犯罪を防止する為でしょうね。いちいち喧嘩している少年たちをパクると言う事は立小便を取り締まるのと同じにも見えます」

――こういったタイマンまで規制されると、本宮ひろしの漫画もダメ。クローズもダメになるのでは(苦笑)。漫画・映画の世界ではありますが

「でも(本宮ひろしさんの描く)番長は必要です。例えば、イジメを受けている子がいる。イジメている子を番長が注意するという図式がありました。だいたい番長はイジメている暇はなかったですから、他のチームとの喧嘩で一生懸命で(笑)。堂々と物事をする人間を取り締まろうとすると、隠れる。取り締まりにくくなる。悪循環だと思います」

喧嘩はよくないのは誰でもわかります。けれど、人が生活している限り、絶対喧嘩はなくなりません。そもそもタイマン勝負を申し込む側、タイマンを受ける側はその時点で、武器を使ったり、殺めるまでの事はしない前提です。

不良少年はいなくなりません。人間がいる限り。それは戦国時代は傾奇者と言われ、江戸時代は町奴、旗本奴と言われ(ヤクザの始祖ですが)、明治時代にも不良少年少女グループがありました。昭和に入り、カミナリ族、狂走族、暴走族、チーマー、ギャングと形、姿を変えて生き残ってきました。

彼らの暴走を止める事は賛成です。が、彼らはイジメをする、暴走族にも入れない中途半端なパンピー(マイルドヤンキーとやらはパンピーの事です)どもの重しにもなっていました。

暴力団排除所条例で暴力団員が減ったとは言え、準暴力団(半グレ)の犯罪が目立つようになりました。警察行政が悪手を打っている気がしてなりません。(文◎久田将義)

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