爆風スランプ「大きな玉ねぎの下で」武道館に来なかった彼女の正体を深読み! 1985年 11月1日 爆風スランプのセカントアルバム「しあわせ」がリリースされた日

爆風スランプ「大きな玉ねぎの下で」の歌詞を徹底的に深読み解説。武道館で待つ彼のもとに現れなかった彼女の正体を教えます。

「大きな玉ねぎの下で」は、1985年11月1日にリリースされた爆風スランプ2枚目のオリジナルアルバム『しあわせ』の5曲目として収録された名曲バラードである。直立不動で歌うサンプラザ中野くん(旧サンプラザ中野)のストレートな感情が胸に迫り、聴く人の心を温かくしてゆく…僕も大好きな曲だ。

さて、今回はこの「大きな玉ねぎの下で」の歌詞を深読みしたいと思う。彼女がなぜ彼の前に現れなかったのか? 彼女はいったい誰だったのか? 歌詞から紐解く衝撃の事実(妄想)にぜひお付き合い願いたい。

「大きな玉ねぎの下で」は、淡く切ない恋模様が描かれた、大人になるための通過儀礼ともいえる “失恋” がテーマだ。

僕の想像だけれど、この歌詞に描かれた物語はサンプラザ中野くんの実体験がベースになっているのではないかと思っている。1985年当時に担当していた『サンプラザ中野のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)に寄せられたリスナー投稿に触発された可能性もありそうだけれど… そんなことを踏まえつつ、ここからはカギを握る歌詞を抜き出して考察していこう。

 ペンフレンドの二人の恋は
 つのるほどに 悲しくなるのが宿命
 また青いインクが涙でにじむ せつなく

時代は昭和である…“ペンフレンド” とは、文字通り手紙を介した友だち作りのことだ。マンガや雑誌の巻末にある『ペンフレンド募集』のコーナーを通じて手紙のやり取りをスタートさせる。現在ではメールや SNS がその役目を担っているけれど、文通はインターネットが普及する前の大切なコミュニケーションツールとして、人と人とを繋ぐ重要な役割を果たしていたのだ。

言葉と言葉で紡がれた恋… 遠距離がゆえに避けられない悲しみの宿命とは、会いたいのに簡単には会うことが出来ないという、二人の距離と想いが比例する刹那の積み重ねである。

さて、ここで「青いインク」という言葉が出てくる。これは万年筆のことだ。何故ならボールペンであれば簡単に滲むはずがないからだ。彼女は手紙を万年筆で書く女性である。

 貯金箱こわして 君に送ったチケット

貯金箱をこわすといえば、陶器製のブタの貯金箱一択である。なにせ時代は昭和なのだ。それをこわしてコンサートチケットを手に入れるということは、彼はまだ学生だろう。中学生か高校生か… まだ自分で自由にできるお金が貯金箱しかなかったのだ。この彼の一生懸命さがくすぐったい… 間違いなく初恋だ。

 定期入れの中のフォトグラフ
 笑顔は動かないけど

定期入れの写真… きっと彼女は同い年だろう。そんなに歳の離れた人と文通するとは思えないから。彼女は自分史上最高の写真を送ってきたはずで、それを何度も眺めてしまう彼の姿を想像するだけで幸せを感じてしまう。

 あの大きな玉ねぎの下で
 初めて君と会える

コンサート会場は日本武道館だ。“大きな玉ねぎ” とは武道館の屋根の上に備え付けられた擬宝珠(ぎぼし、ぎぼうしゅ)のことである。起源は諸説あるけれど、僕は、葱のもつ独特の臭気が魔除けになるという説を採用したい。元は葱坊主であり擬宝珠は後から付けられた当て字だという説明は、橋や神社の手すり、欄干などの仏教建築以外でも使われている現実と符合するからだ。つまり武道館のものは建物全体の魔除けとして頂点に納められた神聖なものだろう。

さて、ここからの歌詞は別れを伴う切ない内容だ。

 何度もロビーに出てみたよ
 君の姿を捜して
 (中略)
 君がいないから 僕だけ淋しくて
 君の返事 読み返して 席をたつ
 (中略)
 君のための 席がつめたい

彼女はいつまでたっても現れない。コンサートが始まるまで彼は何度もロビーに出て彼女を捜す。コンサート中も手紙を何度も読み返しては席を立って捜してしまう…

失恋を経験したことのある人は、この切なさがわかるはずだ。歌詞にある写実的な情景が心の隅々まで沁みわたりキュンとしてしまう。サンプラザ中野くんの声がこんなにも心に刺さるものなのかと正直驚いた…。

では、ここまでの考察から導き出した彼女の正体を発表させてもらう。どうか驚かずに最後まで僕についてきて欲しい。

ペンフレンドの彼女の正体とは、彼女のお母さんである。

解説しよう――
まず、万年筆で手紙を書くなんて若い子のすることじゃない。そう、このカラクリは、娘の雑誌にあったペンフレンド募集のコーナーを見たお母さんが、なんの気まぐれか彼に返事を書いてしまったのが始まりである。

当たり前だけど、お母さんである彼女と彼とは親子ほどの差があるはずだ。それでも彼女は娘に内緒で文通を続けてしまった。いわゆる “なりすまし ”として…。

悪い事とは知っていても純粋な彼が愛おしくて、つい手紙に返事を書いてしまう。それは彼女が自分の青春時代を思い出してしまったからに他ならない。送られてきた写真の彼が、早くに亡くなった夫の若いころにそっくりだったのだろう。愛した夫の形見である万年筆で書く手紙の返事… そう、夫を想いだすうちに、彼女も本気で恋をしてしまったのだ。

彼に送り返したのは自分の娘の写真である。これで怪しまれることはない。純粋な彼ならば、ペンフレンドは写真の娘だと信じてくれるだろう。でも、だからこそ、何があっても彼と会うわけにいかなくなってしまったのだ。

ここでもう一度歌詞を読み返して欲しい。これはお母さんである彼女の視点も含めた歌詞だと気づいただろうか。そう、彼女は武道館に来ていたのだ。彼とどうしても会いたかったから… そしてそれは、二度と彼に返事を書かないという悲しいけじめでもある。

彼女はずっとロビーの片隅から彼を見守っていたのだ。不安そうな彼、悲しそうな彼、アンコールの途中で飛び出してしまった彼…

 アンコールの拍手の中 飛び出した
 僕は一人 涙をうかべて
 千鳥ヶ淵 月の水面 振り向けば
 澄んだ空に光る玉ねぎ

九段下の駅へ向かう人混みの中に紛れてゆく彼、それを追う彼女… ふと振り返った彼の瞳には、武道館と一緒に彼女の姿が映っていたはずだ。ただ、彼女だと気づくことはない。彼女もきっと泣いていただろう。これで彼とは永遠のお別れになるからだ。もう文を重ねることはできない。それなのに、目の前にいる彼に「さよなら」と、声を出すことすら許されないのだ。彼女は、彼に泣き顔を見せぬよう同じように振り返り武道館を眺める。

 九段下の駅へ向かう人の波
 僕は一人 涙をうかべて
 千鳥ヶ淵 月の水面 振り向けば
 澄んだ空に光る玉ねぎ

歌詞は二回繰り返す… そう、一度目は彼の瞳に映った大きな玉ねぎであり、繰り返しは同じ場所から同じように見上げた彼女目線の玉ねぎだ。月灯かりは、きっと優しく二人を照らしてくれていただろう… でも、その影がひとつになることは永遠にない――

ここからは余談だけれど、この曲が発表された同年12月に爆風スランプは日本武道館で初ライブを果たしている。そう、夢を叶えたのだ。

「武道館に空席があるのは、ペンフレンドの女の子を誘ったけれど来てくれなかった」

という創作からの言い訳ソングだとサンプラザ中野くんは言っている。ただ、こんなリアルな歌詞がそうそう書けるはずがない。そんなことはただの照れ隠しだとわかっている。

真相は僕の考察で明らかにされた。僕は確信した。そう、これは間違いなくサンプラザ中野くんが “売れない頃に実体験した物語” なのである。

カタリベ: ミチュルル©︎

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