『明日の僕に風が吹く』乾ルカ著 未来をつかみ直す少年

 ウミウ、ウトウ、カモメ、ケイマフリ…。鳥の名前が次々と出てくるあたりから胸が高鳴った。『明日の僕に風が吹く』は「海鳥の楽園」の異名を持つ北海道の離島が舞台。小説内では「照羽尻島(てうじりとう)」と呼ばれているが、モデルは実在の天売島(てうりとう)である。

 東京に暮らす主人公の川嶋有人は、医師である叔父が飛行機の中で急患が発生した時の「ドクターコール」に迷うことなく名乗り出た姿に憧れ、将来は自分も医師になりたいと願っていた。しかし中学2年の時の出来事がきっかけで躓く。

 クラスメートの道下麗奈がアレルギー発作で倒れる。有人はそれを助けようとするが失敗し、ぶざまな姿を周囲にさらしてしまう。友達にののしられて傷つき、さらに道下に言語障害が残ったことが分かって、罪悪感に苦しむ。医師になりたいという自らの夢もついえた。「あの日」さえなかったら、と思い続ける。

 部屋に引きこもるようになって2年が過ぎたある日、叔父が有人に会いに来る。そして自分がいる北海道の離島の高校を受験するよう勧める。有人は合格し、叔父に連れられて照羽尻島へ向かう。

 高校なのに全校生徒は有人を含めてたった5人。父親のような漁師になりたいと素直に願う誠。事情があって札幌から島に来た桃花。涼先輩は優しくてかわいらしく、鳥類学者を目指すハル先輩は体が弱い。物語は、有人が4人や島の人々と少しずつ打ち解け、心を通わす様子を追う。そこに島の自然が絡む。

島に来て間もないころ、ウトウの帰巣をみんなで見る場面がある。

 「最初の一羽は、ほんの小さな黒い影だった。それが宵闇の群青を抜け出して、こちらへと飛んでくる。その影がはっきり海鳥だとわかるころには、他の個体も空に舞っているのだった」

 「暮れる空を仰いで彼らの動きを追っていると、眩暈のような感覚に襲われる。それほど空が広かった」

 初めて帰巣を見る有人の胸の鼓動が聞こえてくるようだ。

 誠と一緒に誠の父親の漁船に乗せてもらい、夜明けを見るシーンも圧巻だ。「陽が昇るたった一点から、色彩が広がっていく」。その描写に心打たれる。

 叔父は島の診療所の医師として島民から慕われ、尊敬される存在だった。その叔父は、どんな気持ちで働いていたのか。自分のことをどう見ていたのか。それを有人が少しずつ理解していく過程も丁寧に描かれる。

 機内でのドクターコールに名乗り出るにはリスクが伴う。器具も満足にないなど条件が悪く、失敗すれば逆恨みされるかもしれない。「岐路に立ったとき、俺は未来の自分を想像してみるんだ」。10年後の自分が後悔しない道を選ぶという叔父の生き方は有人に勇気を与え、ある決意を促す。

 たった一つの失敗で、未来を失ったと思っていた少年が、明日をつかみ直す。厳しくも美しい島の自然と、不器用な友情がそれを後押しする。

(KADOKAWA 1600円+税)=田村文

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