『LESS』アンドリュー・ショーン・グリア著、上岡伸雄訳 失恋からの逃避の旅

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 人生は悲劇か、それとも喜劇か。

 誰にとっても、その両方の側面を持つだろう。ただし喜劇性は年を取るほど増してくる。人生が折り返し地点を過ぎて下り坂に入り、思うにまかせぬあまたのこと。それらを笑ったり、味わったり、やり過ごしたりするすべを持たなければ、ちょっときつすぎる。

 失恋もそうだ。50代に入ってからの失恋の痛手は、喜劇性を帯びていた方がいい。言い方を変えれば、ユーモアを武器に乗り越えるしかないのだ。おそらく「次」はもうないし、今後は「ひとり」で生きることを覚悟すべき時なのかもしれないのだから。

 小説『LESS』の主人公、売れない作家のアーサー・レスは不器用で、冴えない男である。彼は自分が凡人であることを知りすぎるほど知っている。同性愛者で、もうすぐ50歳になる彼が世界一周の旅に出ることにした動機は、逃避だ。9年間付き合っていた15歳年下のフレディが別の男性と結婚することになり、その招待状が届いたのだ。なんとしても出席したくない。

 つまりレスは失恋したばかりなのだ。鋭利な刃で「若い頃と同じ色の血を噴き出させる」ような失恋を。それで世界各国から来ている仕事の打診や招待を受け入れて、大胆な日程を組む。

 最初に米ニューヨークで人気作家と対談した後、メキシコに移動して学会に出席。イタリア・トリノに行って文学賞の贈呈式に出た後、ドイツ・ベルリンの大学の冬季講義。モロッコでは別の人の誕生祝いの“遠足”に便乗し、サハラ砂漠のどこかで自分も50歳になる。これなら、ひとりぼっちで誕生日は迎えないで済むはずだ。

 そしてインドへ行って書きかけの小説の最終稿を仕上げ、最後に京都で懐石料理を食べて、記事を書く。そんな計画だ。

 旅先でレスは、言葉や文化の違いから、多くの珍事に遭遇する。特にベルリンのくだりは笑いが止まらない。自分が話せるつもりでいるドイツ語で大学生たちに「申し訳ないのですが、あなた方の大部分を殺さないといけません」などと言ってしまう。

 ブルーのスーツが似合うレスの内面は、無垢な少年のようだ。でも鎧をまとっていない分、傷つきやすい。自意識と実年齢とのギャップが滑稽でもあるし、魅力でもある。そんな彼は学生たちから「ピーター・パン」というあだ名を頂戴する。

 旅の途上でたくさんの人に出会いながら、レスの心は記憶の中をさまよう。15歳年下のフレディとの日々、その前に付き合っていた天才詩人、25歳年上のロバートとの歳月。この旅は、過去との対話でもあるのだ。

 レスが書いている新しい小説は、悲しみを抱えながらサンフランシスコを歩き回るゲイの男の物語である。モロッコでレスからその内容を聞いた女性が「それって、白人の中年男?」と聞く。「そうです」とレス。「そういう男って、ちょっと同情しにくいのよ」と彼女。「ゲイでも?」「ゲイでも」

 自分は作家としての才能も中途半端なら、マイノリティーとしての立場も中途半端なのだと思い知らされたレスは、インドで小説をコメディータッチに書き換えていく。悲劇を喜劇に変えるために大事なのは、主人公を、あるいは自分を突き放して見る距離感だ。 やがてレスは「自分の主題を再び愛し始める」。

 たくさんの欠落(レス)を抱えた愛すべき男、レスの旅の最後に待っているものは何か。

(早川書房 2600円+税)=田村文