金正恩氏につぶされた「ある風俗店」の悲しい話

やや旧聞に属する話となるが、今年の7月8日の夜、北朝鮮・平安南道(ピョンアンナムド)の某所で騒ぎがあったと、米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が伝えている。そしてこの騒ぎの背景には、現代北朝鮮における、ある「悲しい話」があった。

7月8日と言えば、金正恩党委員長の祖父・金日成主席の命日である。そのため北朝鮮では、毎年6月末から7月上旬にかけて「哀悼期間」が設定され、金日成氏を偲ぶ様々な政治イベントが行われる。2011年12月17日に死亡した金正日総書記に対しても同様だ。

そしてこの期間中は、歌舞音曲など賑やかなことは徹底的に禁止され、事件・事故の類も一切許されない。些細な犯罪でも加重処罰される。

ところがそんな大事な時期に、冒頭で触れた某所では、地元民や司法当局の間で「隠れ売春宿」として知られていたある建物に対する一斉摘発が行われ、多数の女性が「思想犯罪者」として保安員(警察官)に連行されたという。

RFAの現地消息筋は、「金日成の哀悼の日に売春行為の取り締まりが行われたのは今回が初めてだ」と語っている。おそらく、この建物では従来から、哀悼期間であろうがなかろうが関係なく、売買春が行われていたのだろう。地元の保安署(警察署)幹部ぐらいならば、売春組織の元締めがワイロを払うことで見逃してもらうことも可能だ。

それが今回のような展開となったのは、中央に実態を知られ、金正恩氏やその側近ら上層部の逆鱗に触れた可能性もある。一方、消息筋は、当時の様子をこう説明している。

「保安員は5つのフロアごとに2人1組となって建物を捜索し、男女合わせて15人ほどを逮捕した。呆れるのは、男性らは保安員に500米ドルのワイロを渡して解放されたのに、20~30代の女性たちだけが思想犯罪者として連行されたことだ。『哀悼の日に売買春が行われたのは女性が男性を誘惑したから』というのが保安員たちの屁理屈だが、摘発を見守っていた地元住民からは『女性だけ処罰されるなんておかしい』との声が上がった」

しかし、筆者が言う「悲しい話」というのは、こうした女性たちの身の上のことではない。これはこれで不公正だが、このエピソードにはもうひとつ、特徴的な背景がある。

実は、今回摘発された建物は、ある工場の従業員たちの寮なのだ。そしてその工場で働いているのは、事故などで視力を失った視覚障碍者たちだ。北朝鮮当局としては、視覚障碍者に対する支援策として、職場と住居を提供したのかもしれない。

しかし、慢性的な経済難に、国際社会の制裁が追い打ちをかける現状の中で、まともに稼働している工場など一握りしかない。給料も配給も途絶え、生きていくためには市場などで商うしかないが、目が見えなくてはそれも容易ではない。そのため別の消息筋によれば、北朝鮮における視覚障碍者の労働者は「最下層の人々」なのだという。

「数年前から、地方都市では売春行為が盛んに行われるようになるとともに、自宅をそのための場所として提供し、使用料を稼ぐ住民が現れた。視覚障碍者たちも仕方なく、自分たちの寮を提供するようになったのだ。しかも、目が見えない彼らには、売買春を行う男女の顔がわからない。それを幸いとばかりに利用者が増え、噂が広まった」(2人目の消息筋)


そして地元当局はこれまでにも、売買春の取り締まりキャンペーンがある度にこの建物を標的にし、視覚障碍者たちだけを責め立ててきたという。生き延びるため、仕方なく売春に走る北朝鮮の人々を巡っては、こうしたエピソードが枚挙に暇がないのである。

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