ジェンソン・バトンがファン、チーム、日本、ホンダへの感謝を語る「2年間、本当に楽しかった」

 11月2日、ツインリンクもてぎで行われているスーパーGT第8戦の公式予選後、2019年限りでスーパーGTでの活動を終えることを公表したRAYBRIG NSX-GTのジェンソン・バトンが、ホンダ主催の記者会見に出席し、今の心境と今後、そしてスーパーGTとホンダ、ファンに対する感謝を長時間にわたり語った。

 バトンはスーパーGT第8戦もてぎに先立つ10月29日、自身のSNS上で、「今週末のシーズン最終戦もてぎを前にしたこの機会に、スーパーGTでの最後のレースになることを発表したい」と2年間のスーパーGT活動がこの第8戦もてぎで最後になることを語った。

 自身がアタッカーを務め、Q1で11番手という結果に終わった第8戦もてぎの公式予選の後、メディアを集め記者会見がスタートした。TEAM KUNIMITSUのチームウェアに身を包んだバトンは、多くのメディアの前で、真摯にひとつずつ質問に答えていった。

 以下、バトンの記者会見でのコメント全文をご紹介しよう。

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■2年間、本当に楽しかった。今後もチームとナオキの活躍を祈っている

 まず、人生というものは色々なチャレンジの積み重ねで成り立っていると思う。僕はF1でのキャリアを終えて、スーパーGTを新たな挑戦の舞台として選んだ。スーパーGTはとてもエキサイティングで、僕としても初めてのこと、学ばなければならないことだらけだった。セミ耐久でチームメイトとレースをするのも、GT500とGT300の2クラスで成り立っていることなど、自分としては初めてのこともあったけれど、それを味わい、楽しんで挑戦することができたんだ。

 僕が加わったTEAM KUNIMITSUはとても素晴らしいチームだった。2年間本当に楽しかったよ。チームスタッフは若い世代も多くて、経験が浅いところもあったけれど、一緒に頑張って、ともに成長することができたことはすごく誇りに思っている。

 2018年、チャンピオンを獲得することができたとき、チームのみんなと一緒に感動を味わえたし、あの時のクニミツサン(高橋国光チーム総監督)のうれしそうな表情は忘れられない。クニミツサンは長年二輪、四輪で活躍された偉大なレーサーで、F1も乗っている。そういう素晴らしい人と一緒に喜べたことは忘れられない瞬間だった。

 そして、チームメイトのナオキ(山本尚貴)と2年間、一緒に走ることができたのも喜びだ。ナオキは、僕が初めて『頑張って欲しい』と思えるチームメイトで、とても良い環境で走ることができた。僕は耐久レースは初めてだったけれど、ナオキからはチームメイト同士で、そしてチームとともに働く大切さを教えてもらったし、ナオキと一緒に新しいカテゴリーを学ぶことができたことは本当に楽しかった。2020年からスーパーGT500クラスはクルマもレギュレーションが変わっていくけれど、今後もチームが良い活躍をみせてくれることを願っているし、ナオキの活躍も応援しているよ。

■スーパーGTでの活動を止める理由は

Q:クルマをシェアして戦うレースに参戦し、いい意味で苦労したことは何かありますか?

 僕は身長が184cmあって、ナオキとは20cmも違うんだ(笑)。だからシートポジションやステアリングの角度などは歩み寄りが厳しい部分もあったよね。僕は先日、ホッケンハイムでひとりでレースを戦ったけれど、ステアリングやシートを自分にピッタリと合わせることができた。でも、クルマをシェアしていると、ひとりの時とは同じようには走れないし、自分の足や腕は、フィーリングを確認するために重要な部分だけど、それをどう妥協しながらポジションを取ることが難しかったよ。

Q:今後のあなたの活動について教えて下さい。NASCARや、スーパーGTの別メーカーで参戦することはありますか?

 僕は長年ホンダのアンバサダーも務めているからね。トヨタやニッサンで走ることは絶対にないよ(笑)。まだ分からないけれど、ホンダと来季の仕事はしないかもしれないけれど、ネットで、アメリカン・ホンダがNASCARに参戦するかも……という記事が出たとき、Twitterで『準備はバッチリ!』とコメントはしたけど(笑)。

 もちろん僕は大きなチャレンジが大好きだから、NASCARは大きなチャレンジになると思う。でも、F1ドライバーはNASCARでは誰もが苦戦していたからね。最初はNASCARのトラックシリーズなどで少しやるくらいはいいかもね。とりあえず来季の前半は予定を入れていないし、できる限り家でゆっくりしたいと思う。他には来季の予定は何もないよ。

Q:日本のレースに参戦した印象を教えて下さい。
 スーパーGTという、素晴らしいドライバーが参戦する競争力が高いシリーズに参戦したことで、本当に最高の2年間だったと思う。特に1年目はね。F1を離れて僕がやりたかったこと、次に何に挑戦したいかを探していたんだ。スーパーGTは、今まで経験したことがない種類のもので、そんなレースでチャンピオンを獲得したことは僕の人生にとって深い意味があるものだった。

 そして今は、次の挑戦を求めているんだ。僕はいま39歳で、まだそこまで年をとっていると思わない。特に日本ではね(笑)。まだ次の挑戦はできると思うんだ。

 ただ、あと2〜3年日本にいると、次の挑戦の機会を逃してしまう。だから日本やスーパーGTが気に入らないとかそういう理由ではないんだ。『行けるうちに次のチャレンジに行きたい』ということなんだ。

Q:最近お子さまが生まれたと聞いていますが、それがレーシングドライバーとしてのキャリアにどう影響するでしょうか?

 いい質問だね(笑)。皆さんそうかもしれないけれど、やはり家族ができると人は変わるよね。でも、子どもができてから富士やSUGOですごくいいレースができているんだ。だから子どもができて結果に繋がっている部分はあると思う。でもやっぱり、家の近くで過ごしたいとは思っているよ。日本でレースをするにあたり、テストを含めて、やはり今住んでいるアメリカから長時間の移動があって、そのたびに家を離れていたから、もっと家で過ごしたいとは思う。

 でも、僕はレーシングドライバーなんだ。レースは一生続けていたいし、たとえ80歳になってもレーサーでいることを止められない。スターリング・モスも言っているけれど、人生のレースを続けることがエキサイティングなんだ。

■日本でレースをすることは夢だった

Q:新しいチャレンジとして、どんなものをやってみたいのでしょうか。頭に思い浮かんでいることはありますか?

 いくつかあるよ。僕はオフロードレースが大好きなんだけど、でも今はそれだけじゃない。今年の終わりにはバハ1000に参戦するんだけど、スーパーGTとDTMの特別交流戦の週末なんだ。すごく楽しみにしているよ。そして、将来またル・マン24時間に出たいね。新しいハイパーカーのレギュレーションはすごく魅力的だ。それにNASCARだって興味はある。まだまだ僕は体力面でも充実しているし、挑戦に対してハングリーなんだ。それこそ、カートの世界選手権だって出てみたいよ(笑)。僕はF1とスーパーGTで、それぞれ素晴らしいキャリアを刻むことができた。だから今は、新しいステップを踏みたくてワクワクしているんだ。

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 ここで質疑応答は終わったが、バトン自身が最後に発言を求めた。

 最後にこの場を借りて、感謝を言わせてほしい。2年間レースをするチャンスをもらえて本当に感謝しているよ。日本のファン、そして文化が大好きだ。そして、日本のモータースポーツにいつも憧れをもっていたんだ。僕が最初に日本でレースをしたのは1997年、カートで鈴鹿に来たときなんだけれど、日本のモータースポーツのレベルの高さに本当に驚いた。それからずっと憧れをもっていたんだ。F1にいたときから日本、そしてスーパーGTでレースをすることが夢だったし、この機会をもらえたこと、そして機会を作ってくれて、夢を叶えてくれたホンダに感謝したい。ありがとう。

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