「もう一度、会いたい」 坂本弁護士一家殺害から30年

無罪判決後に贈られた寄せ書きを今も大切に保管している大木博さん。当時司法修習生だった坂本弁護士からのメッセージもある=東京都内

 オウム真理教の幹部に妻や長男とともに殺害された坂本堤弁護士に、かつて人生を救われた男性がいる。冤罪(えんざい)の窃盗事件を一緒に闘い、無罪判決を勝ち取った男性には軽度の知的障害がある。「障害者問題や少年事件に意欲を燃やす、熱い人でした」。坂本弁護士一家殺害事件から4日で30年、男性はぽつりと漏らした。「もう一度、会いたいな」

 「とても優しく話し好きで、兄貴のような存在でした」。千葉県富里市に住む大木博さん(57)は、坂本弁護士と過ごした日々を昨日のことのように覚えている。

 坂本弁護士と初めて出会ったのは、1985年夏ごろ。東京都練馬区で発生したひったくり事件で、大木さんは起訴されていた。大木さんの弁護に当たった城北法律事務所(同豊島区)で司法修習をしていたのが坂本弁護士だった。

 「朝から晩まで私や他の支援者らと一緒にいた。事件のことだけでなく、飲みに行ったり、カラオケに行ったり。どうしたらいいのか不安だった時に、常に励ましてくれた」

 坂本弁護士は当時から社会的に弱い立場にある人たちの問題解決に強い関心があったという。障害のある大木さんにとって、その姿勢そのものが何よりも心強かった。裁判では、現場での再現実験やアリバイの証明などあらゆる手を尽くし、86年12月に無罪判決で終結した。

 89年11月、坂本弁護士一家が失踪したと知った時は大きな衝撃を受けた。署名集めやビラ配りなど救出活動にも精力的に取り組んだが、願いは届かなかった。

 大木さんは今も、無罪判決後に作製した横断幕や裁判の資料集を自宅で保管している。「絶対に忘れたくないし、もしこの記録が無くなったら思い出も消えてしまう気がして…」

 もう一度会いたいと願う坂本弁護士と最後に言葉を交わした日から既に30年余り。「もし生きていたら弱い立場の人たちを救うために、今も駆け回っているんじゃないかな」と、亡き恩人に思いをはせた。

 ◆坂本弁護士一家殺害事件 オウム真理教の信者脱会支援に取り組んでいた坂本堤弁護士=当時(33)=と妻都子さん=同(29)、長男龍彦ちゃん=同(1)=が1989年11月4日未明、横浜市磯子区の自宅アパートで教団幹部らに殺害された。遺体は約6年後の95年9月に新潟、富山、長野3県の山中などで発見。一連のオウム裁判では、松本智津夫元死刑囚が殺害を指示したとされ、実行犯5人とともに殺人罪などに問われ、死刑判決が確定。昨年7月6日と26日、松本元死刑囚を含む教団元幹部ら13人の死刑が執行された。

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