第4回 「パーキンソン病疑惑」

「体を悪くされたんですか?」

先日、講演会でショッキングな質問をされた。10月19日に石川県加賀市で講演をした。硲伊之助美術館という素敵な美術館が会場だった。硲伊之助(はざま・いのすけ)は画家で、大正・昭和にわたって活躍した。晩年、久谷焼に出会い魅力にはまって、古九谷の里に移り住んだ。この人の絵を背中にしょっての講演だった。

100人以上の方が来られ、会場はいっぱいだった。僕は、三島由紀夫と共に防衛庁で切腹自殺した森田必勝の話をした。実は森田は、早稲田大学で出会い、僕が右翼運動に引きずり込んだ。その後、僕は運動の現場から追い出され、産経新聞の広告局に就職した。その時、三島事件が起き、森田の名前が出た。僕はびっくりした。と同時に、申し訳なく思った。こちらはちゃらんぽらんな生活をしているのに、森田は死を選ぶほど、考え行動していたのだ。これがきっかけで、昔の仲間と、勉強会を始めた。

と、そんな話をしたつもりだったのだが、質疑応答の時間になった時、ある人が挙手してこう言った。

「鈴木さんの声が小さくて、よく聞こえませんでした。どこか体を悪くされてるんですか?」

そうか、見破られたか。実は、2018年の2月から、体調がひどく悪い。なぜ日付がはっきりしているかと言うと、その日、外を歩いていて、ばったりと前に倒れたからだ。腕から血が出、鼻血も吹き出した。でも、仕事に行く途中だったため、そのまま仕事先の河合塾に行った。

僕の担当の福田さんに会ったら、「鈴木先生、どうしたんですか? 右翼に殴られたんですか!?」とビックリ×2くらいの顔をされた。「すぐ病院に行きましょう!」と河合塾の提携病院に連れて行かれた。脳波を取り、心電図を取り、レントゲンやら何やらかにやらの検査を受けたのだが、特に異常はないと言われ、そのまま帰ってきた。

でも、その後がしんどかった。食が進まない。普段の半分くらいの量を食べると、それ以上、食べる気が起きなくなる。歩くのも、下半身が思うように動かないから、ソロリソロリとおっかなびっくりで足を出す。ある人に言わせると、「姿勢の良かった鈴木さんが、昭和天皇の晩年のように前かがみになり、ペンギンの歩行のようだった」ということになる。

ただ、食欲は2、3カ月で旧に復した。蕎麦屋に入っても定食屋に入っても、残さずに完食できた。しかも食前にビールを注文するものだから、目を丸くされた。これで徐々に回復すると思って油断していたら、11月に再び転倒した。自宅の近くのコンビニに行こうと思って歩いている時だった。おかしいと思って、人の家の塀に右手をついたのだが、ズルズルとそのまま滑って、顔も体もひどくすりむいた。

しばらくその場で座り込んでいたら、その家の犬が“ワンワン”と激しく吠えたてる。いつも見かける犬で、時々、パンなどをやっていたのに、恩知らずな犬だ。でも、その声を聞いて、家の人が出てきた。立とうと思ったのだが、「駄目ですよ、すぐ救急車を呼びます」と言う。警察病院が近かったせいか、あっという間に救急車が来て、病院に担ぎ込まれた。今度は「緊急入院してくれ」と言われた。

▲石川県加賀市の硲伊之助美術館にて。

「どうしたんですか、右翼に殴られたんですか?」

結局、その日から6日間、警察病院でご厄介になった。ここでも、MRIも撮ったし、いろいろな検査をされたが、特に疾患はないという。でも、週3回、リハビリに通うことになった。リハビリは、主に歩くことが中心だ。廊下の手すりを伝って、早足で歩く。

また、椅子に座って、腿上げをやらされる。これは痛かった。でも、その他のことでは、入院中も痛いとか苦しいという感じではなかった。検査の結果、鼻の骨が折れていたらしいが、これもそんな痛かった覚えはない。

でも、手や顔に包帯をぐるぐる巻きにしていたりするから、お見舞いに来た人はみなビックリする。そして一様に「右翼にでも殴られたんですか?」と聞いてくる。誰も「左翼に殴られたんですか!?」と聞いてくる人はいない。

リハビリで厭だったのは、認知症の検査だ。今日は何日ですか? と聞かれたり(これは案外間違えたが)、テーブルの上に物を4つ出されて、それがしまわれた後、出た順に出してみてくれと言われたり。簡単すぎる。人を年寄り扱いするな! と憤ってはみたが、僕ももう75歳になった。立派な後期高齢者だ。無理はできない。

今でも困るのは、下半身が全く思うようにならない。居酒屋へ行って、座敷だったりすると、座るのにも一苦労。立つのがまた大変。大変と言うか、足に力が入らないから掴まる所がないと立てない。たいていの場合、人に脇の下から抱えてもらって、やっと立ち上がれる。一旦立ってしまえば、歩くことはできるのだが。

ただ、歩くと言っても、上に書いたように、ペンギン歩きのように、足が小さく前に出るだけ。見ていて危なっかしいらしい。階段の上り下りも、支えてもらわないと不安だ。人混みが怖い。ぶつかられたら、ひとたまりもない。

いきおい、タクシーを使うことが多くなるから、金がかかって仕方がない。安達祐実のドラマじゃないが、「同情するなら金をくれ!」だ。

杉山寅次郎君に感謝

邦男ガールズ(という人たちがいるらしい)や、他の何人かの人が、僕の外出時には付き添ってくれる。なかでも助かるのは、元中野区の職員の杉山寅次郎君だ。彼とは、和歌山カレー事件の林眞須美さんを支える会で知り合った。僕はこの会の会長だ。前会長の三浦和義さんから生前、茶飲み話で頼まれていたのだが、三浦さんが“疑惑の銃弾”事件関連で、サイパン旅行の時に逮捕され、ロスアンゼルスの警察で首つり自殺をしてしまったので、瓢箪から駒になってしまった。

寅次郎君は、その後、僕のトークイベントにもほとんど顔を出してくれるようになった。そして、僕が体調を崩してからは、何くれとなく面倒を見てくれる。何しろ彼とは、同じ町内会の仲間だ。自転車なら5分と離れていない。だから、僕が自信のない所、つまり初めて行く場所や、地方へ出かける時など、家まで来てくれて、鞄を持って、一緒に歩いてくれる。帰りも逆コースをたどれるから、本当に大助かりだ。全くのボランティア。それどころか交通費などは自前だ。頭が下がる。

パーキンソン病の検査

話が飛んだ。僕の最近の状態を見ていて、いろんな人がパーキンソン病を心配してくれる。月刊『創』の篠田編集長もその一人だ。彼は『創』誌で、永六輔さんの対談ページを永さんが亡くなる直前まで連載していた。永さんは「僕の状態を見て、同じ病の人が元気を出す。つまり僕はパーキンソンのキーパーソン」だと言っていた。

その永さんの晩年の症状に、今の僕の状態が似ているというのだ。これは初めて告白するけど、いろんな人からそう言われるので、実は3つの病院で、パーキンソン病の検査も受けた。どこも見立ては同じで、「疑いがあるから薬を飲め」という。

これは余談だが、ある病院では「パーキンソン病は攻撃的な性質の人がなる」と言われた。そうかな? とりあえずその薬や、血圧を下げる薬など、毎食後、何種類かの薬を飲んでいる。

今月は若い人にはあまり関心のないテーマだったかな。ごめん。来月は……まだ考えてない。

▲去年の秋、警察病院のご厄介に……。

構成:椎野礼仁(書籍編集者)

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