長崎県馬術界を支える龍田夫妻 地元国体の財産を継承

長崎県馬術界を支える龍田夫妻。中央は愛馬のララに乗る長女佳苑さん=諫早市、干拓の里

 今秋の茨城国体で5種目入賞した馬術勢。天皇杯(男女総合)の競技別で13位という好成績を残した。この原動力となっているのが、2014年長崎がんばらんば国体以降、長崎県馬術連盟を支えてきた龍田太朗理事長(龍田装削蹄(さくてい)所)と妻の佳野ヘッドコーチ(干拓の里)。「馬たちを生かすも殺すも僕ら次第」。30代の夫妻は、地元国体の財産を継承して、生かし続けている。
 現在、長崎県馬術連盟の会員数は約40人。その中でも競技会の準備や馬の世話ができる人材は限られる。県有馬全7頭を任されているのは佳野。「すごい大変というわけじゃない」。苦労などはまったく口にしないが、繊細な動物である馬の世話を一手に担っている。
 太朗が出身地の長崎県諫早市で装削蹄所を開業したのは2008年。その後、熊本出身の佳野と結婚して、長女の佳苑(かのん)さん(9)が生まれた。当時は娘が幼かったため、佳野は専業主婦として、週末などに馬術に携わってきた。
 だが、2014年長崎国体後は状況が変わった。「地元国体まで頑張る」と区切りにしてきた人たちが次々と辞め、選手として出場していた太朗がいきなり理事長になった。「最初は罰ゲームかなと思った。一時は機能不全になりそうなほど危うかったけれど、みんなが僕を支えてくれた」。馬のことは妻に任せ、仲間と力を合わせて何とか乗り越えてきた。
 一番大変だったのは競技会への出場。馬の移送、餌などの荷物の準備、会場のセッティング…。スタッフがいないため、苦労は絶えない。今回の茨城への移動も陸路で24時間かかった。
 馬の高齢化も問題だ。現在、Nアコード(19)とNラッキーボーイ(15)の2頭以外は、国体出場が厳しい状況。馬は人間に例えると4倍の年齢で、10歳前後がピークとされる。太朗は「新しい馬を買おうという動きはない。来るところまで来てしまっている」と危機感を募らせる。
 その茨城国体はリース事業に成功した。長崎国体を契機に親交が続く成田乗馬倶楽部(二宮誠治代表)の協力が大きかった。能力の高いセリーノ6を好条件で借りることができた結果、1頭で3種目入賞。「地元国体の一番の宝」(太朗)という人脈が好成績につながった。
 選手の少なさも課題の一つ。茨城国体で2種目入賞した藤本広志(諫早農高)は希望の光になった。藤本は卒業後、龍田装削蹄所で働きながら、まずは牛の削蹄師の資格取得を目指す。「仕事が先決だが、その先にチャンスがあれば競技を続けていってほしい」(太朗)。地元国体の財産を次代へつなぐために。龍田夫妻は馬術の“種”をまき、育てていく。

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